第11章 不易流行

― 変わるもの、変わらないもの ―

「不易流行」という言葉

「不易流行」という言葉があります。

松尾芭蕉が俳諧について説いた考えとして知られる言葉です。

不易――時代が変わっても変えてはいけないもの。

流行――時代に合わせて変わっていかなければならないもの。

一見すると正反対のようですが、この二つは対立するものではありません。

長く続けていくためには、変えてはいけないものがあります。

しかし、それを守るためには、時代に合わせて変えなければならないものもあります。

1979年に創立したようどう館も、まもなく半世紀を迎えます。

創立当初と現在では、子供達を取り巻く環境も、水泳を取り巻く環境も大きく変わりました。

それでも、創立当初から変わっていないものがあります。

一方で、変えてきたものもあります。

何を守り、何を変えるのか。

そのことを考えたおたよりが、第453号「不易流行」でした。

ようどう館のこれまでと、これからを考えるうえで、この言葉ほどよく当てはまるものはないかもしれません。


1.初代館長が繰り返した「水泳を通しての子供達の教育」

第453号「不易流行」で、現館長は初代館長がよく口にしていた言葉を振り返っています。

「水泳を通しての子供達の教育」

ようどう館は水泳教室です。

ですから、泳げるようにすることが第一です。

しかし、第1章、第7章で見てきたように、創立当初から水泳だけを教えればよいとは考えてきませんでした。

そのことは、創立以来の「勉強の目的」に表れています。

1、正しい泳ぎをおぼえます
2、礼儀正しい子供になります
3、強い身体の子供になります

泳ぎ。

礼儀。

身体。

この三つを、水泳指導を通して育てる。

初代館長のいう、

「水泳を通しての子供達の教育」

は、ようどう館の「不易」の中心にある考えです。


2.1984年には「プラス+α」

創立から約4年半後の1984年3月、おたより第62号には、

「ようどう館はプラス+αを考える」

という文章が掲載されました。

水泳教室だから、水泳を教える。

それだけで終わらず、そこに何を加えられるのか。

挨拶。

返事。

集団の中で行動すること。

頑張ること。

できた喜び。

人との関わり。

そうしたものを、水泳指導の中で子供達に経験してもらいたい。

「プラス+α」という考えは、後になって付け加えられたものではありません。

創立間もない時期から、すでに文章として残されています。

つまり、

「水泳だけではない」ことそのものが、ようどう館の変わらない部分

なのです。


3.「心と体を育てます」へ

その考えは、後に現在のスローガンへとつながっていきます。

「心と体を育てます」

この言葉は、最初から初代館長が決めていたものではありません。

第553号「心と体を育てます」によると、スタッフから50を超える案を集め、その中から投票によって選ばれました。

採用されたのは1998年頃です。

つまり、

「水泳を通しての子供達の教育」

という創立以来の考え方が、

「プラス+α」

という言葉でも表現され、

さらにスタッフ達の手によって、

「心と体を育てます」

という短い言葉になった。

そう見ることができます。

表現は変わっています。

しかし、中心にある考え方は変わっていません。

これこそ「不易流行」の一つの例でしょう。


4.何を「不易」とするのか

第453号「不易流行」で、現館長は、ようどう館にとって変えてはいけないものを考えています。

その中心にあるのが、

水泳を通して子供達を育てること。

そして、

正しい泳ぎを身につけてもらうこと。

さらに、

挨拶や返事を大切にすること。

身体を強くすること。

泳力を評価するための基準を持つこと。

です。

時代が変わったからといって、

「泳ぎ方はどうでもよい」

とはしない。

「挨拶や返事はもう必要ない」

ともしない。

「テスト会の合否は先生の感覚で決めればよい」

ともしない。

ようどう館として大切にしてきた目的や基本は残す。

それが「不易」です。


5.しかし、すべてを変えないわけではない

「伝統を守る」

という言葉には、

昔のやり方を、そのまま続ける

という印象があります。

しかし、ようどう館の「不易」はそうではありません。

第453号では、変えていくものについても考えています。

子供達は変わります。

入会する年齢も変わります。

生活環境も変わります。

学校教育も変わります。

プールの設備も変わります。

指導者が蓄積してきた経験も増えます。

ですから、

教え方まで昔とまったく同じである必要はありません。

むしろ、変わらない目的を達成するためには、方法を変える必要があります。

守り続けるのは目的と基本。
磨き続けるのは、そこへ導く方法。

これが、ようどう館の「不易流行」を最も分かりやすく表しています。


6.テスト会の基準にも「不易」と「流行」がある

ようどう館では、現在も年2回テスト会を行っています。

20級から1級まであり、その先には段位があります。

テスト会は、子供達がどこまで泳げるようになったのかを確認する大切な機会です。

ここにも「不易流行」があります。

テスト会で、

「正しい泳ぎができているかを見る」

という基本は変わりません。

一方で、長い歴史の中では、基準のすべてが一字一句変わらなかったわけではありません。

例えば、段位の基準を見直したこともあります。

つまり、

基準を持つことは変えない。
しかし、その基準自体も必要に応じて検討する。

ということです。

「昔からそうだから」という理由だけで何も変えないのではありません。

変える必要があるのか。

変えてはいけないものなのか。

そこを考えることが「不易流行」です。


7.40年以上変わらない指導の基本

第530号「不変のものはいつも最先端」は、第453号「不易流行」と非常に深くつながっています。

このおたよりを書いた時、ようどう館は創立43年を迎え、44年目に入ったところでした。

そこで現館長は、昔のおたよりを読み返しました。

そして改めて気づきます。

基本的な指導課程が、昔からほとんど変わっていない。

初心者には、まずビート板を使った練習をする。

水に慣れる。

浮く。

脱力する。

そこからバタ足へ進む。

手を回す。

息継ぎ。

25m。

そして次の泳ぎへ。

第10章で見てきた基本的な流れです。

何十年も前の資料を読み返しても、

「今とまったく違うことをやっている」

とはならなかった。

これは、ようどう館にとって大きな財産です。


8.変わらないのは、古いからではない

長く続いているものには、二つの見方があります。

一つは、

「昔からやっているから、そのまま残っている」

というもの。

もう一つは、

「長年使い続け、今でも必要だと考えているから残っている」

というものです。

ようどう館が目指すのは後者です。

例えば「顔上げ足ピン」。

第565号で確認したように、創立当初のみどり団地の10.5mプール時代から行われていました。

しかし、

「昔からやっているから絶対に正しい」

というだけなら、研究所を名乗る意味はありません。

実際に子供達を指導しながら、

この練習には意味がある。

今の子供にも使える。

だから残す。

そう判断して、現在も行っています。

伝統だから残すのではなく、今でも必要だから残す。

ここが大切です。


9.基本は同じでも、教え方は同じではない

「顔上げ足ピン」が昔からある。

指導順序も大きく変わっていない。

だからといって、1979年と2026年に、まったく同じ言葉、同じ方法、同じ進め方で教えているわけではありません。

第490号「チーム チーチング」には、

「本館にはマニュアルがありません。しかし『テスト会基準表』という到達目標はあります。」

という言葉があります。

目指す泳ぎは共有する。

しかし、その泳ぎを身につけるまでの方法は、一つに固定しない。

ある子には、言葉で説明する。

ある子には、見本を見せる。

ある子には、前の段階へ戻る。

ある子には、少し距離を泳がせる。

同じ目的地へ向かっていても、

そこへ行く道は子供によって違います。

これが「流行」の部分です。


10.富吉先生から受け継がれたもの

ようどう館の指導は、初代館長一人だけでつくられたものではありません。

第453号「不易流行」には、指導方法をつくり上げてきた先生達の存在も書かれています。

その中でも重要な人物の一人が、富吉先生です。

第565号で「顔上げ足ピン」がみどり団地時代からあったことを確認した相手も、富吉先生でした。

初代館長とともに、ようどう館の指導方法をつくってきた先生の一人です。

第453号「不易流行」が書かれた頃には、再び週1回、プールに入って指導していました。

何十年も前から指導してきた先生が、再び現在の子供達を教える。

これは単なる懐かしい話ではありません。

昔の指導を知る人から、現在の指導者へ、技術や考え方が直接伝わる。

ということでもあります。


11.指導は、文章だけでは伝わらない

水泳指導は、マニュアルを読めばすべて伝わるものではありません。

例えば、

「力を抜かせる」

と文章に書くことは簡単です。

しかし、

どこを見れば力が入っていると分かるのか。

どんな声を掛ければ力が抜けるのか。

怖がっている子にはどうするのか。

力が抜けすぎて動けない時にはどうするのか。

こうしたものは、実際の指導の中で身につける部分が大きくなります。

先輩の先生を見る。

一緒に教える。

相談する。

自分でも試す。

失敗する。

また考える。

第453号「不易流行」では、先生達が指導について勉強する機会もつくってきたことが記されています。

つまり、ようどう館の指導は、

文章で残すものと、人から人へ伝えるもの

の両方によって受け継がれてきました。


12.伊勢神宮と出雲大社

第425号「遷宮」では、伊勢神宮と出雲大社の違いについて触れながら、「受け継ぐ」ということを考えています。

ここで重要なのは、建築史そのものを論じることではありません。

現館長がそこから感じ取った、

「残し方には違いがある」

という視点です。

記録として残す。

文章として残す。

一方で、実際に作りながら技術を次の世代へ渡す。

どちらも「伝える」方法です。

ようどう館にも同じことが言えます。

おたよりがあります。

テスト会基準表があります。

過去の資料があります。

そこには、文章として残された考えがあります。

しかし、水泳指導には文章だけでは伝えきれない部分があります。

だから、

一緒に指導しながら伝える。

先生から先生へ。

先輩から後輩へ。

現場の中で受け継ぐ。

その両方が必要です。


13.「あとから来る者のために」

第425号「遷宮」では、

「あとから来る者のために」

という言葉も取り上げています。

長く続く組織を考える時、これは重要な視点です。

今、自分が分かっていればよい。

自分が教えられればよい。

それだけでは、次の世代へ残りません。

なぜ、この練習をするのか。

なぜ、この順番なのか。

なぜ、この基準なのか。

何を大切にしてきたのか。

それを残していく必要があります。

おたよりも、その一つです。

第62号「ようどう館は+αを考える」を読めば、1984年に何を考えていたかが分かります。

第453号「不易流行」を読めば、「不易流行」をどう捉えていたかが分かります。

第530号「不変のものはいつも最先端」を読めば、40年以上経って何が変わっていないと考えていたかが分かります。

文章を残すことは、

未来のようどう館へ考え方を渡すこと

でもあります。


14.木を植える人

第384号「お伊勢参り」では、

「次の世代のために木は植えるのです。」

という考えを取り上げています。

木を植えても、自分がその大木の恩恵を受けられるとは限りません。

しかし、誰かが植えなければ、未来に木はありません。

組織も同じです。

今すぐ結果が出ることだけを考えるのではなく、

次の世代に何を残すか。

を考える。

指導方法を磨く。

若い先生へ伝える。

文章を残す。

基準を整える。

理念を確認する。

一つひとつは地味な作業です。

しかし、それが何十年後かのようどう館をつくります。


15.環境は大きく変わった

ようどう館が変わらないことだけを考えていればよかったわけではありません。

周囲の環境は、大きく変化してきました。

第500号「スイミング業界激変」では、佐賀のスイミングを取り巻く環境の変化について書いています。

長年続いてきた施設がなくなる。

運営形態が変わる。

子供の数も変わる。

習い事の選択肢も変わる。

また、第526号「学校の水泳授業の行方」などでは、学校水泳を取り巻く環境の変化も考えています。

学校プールの老朽化。

維持管理の負担。

学校外施設の利用。

水泳授業そのもののあり方。

2026年の第576号「学校水泳の力」では、学校で泳ぐ機会が減っていることを踏まえながら、

「本館もそれらをHPに載せていますが、それに加えて子供達に “自分の命を守れる泳力” をマスターしてほしいと考えています。」

と書いています。

周囲の環境が変わるからこそ、

ようどう館は何のために存在するのか

を改めて考える必要があります。


16.施設が良くなっても、基本は変わらない

水泳を取り巻く施設も、大きく進歩しました。

現在の佐賀県には、SAGAアクアという全国規模の大会を開催できる施設があります。

水深。

コースロープ。

水面の波を抑える工夫。

大きな映像設備。

競技者が力を発揮しやすいよう、さまざまな技術が使われています。

一方、1979年のようどう館は、自宅の庭につくられた10.5mのミニプールから始まりました。

設備だけを比べれば、まったく違います。

しかし、

良い施設があれば、それだけで泳げるようになるわけではありません。

水に慣れる。

浮く。

力を抜く。

バタ足。

手回し。

息継ぎ。

この基本は、豪華な施設でも10.5mのプールでも必要です。

設備は変わる。

環境も変わる。

しかし、人間が水の中で泳ぎを身につけていく基本には、変わらない部分があります。


17.「不変のものはいつも最先端」

第530号のタイトルは、

「不変のものはいつも最先端」

です。

一見、不思議な言葉です。

普通なら、

「新しいもの=最先端」

と考えます。

しかし、本当に必要なものは、時代が変わっても残ります。

何十年も同じ練習を続けているから古い。

新しい練習だから優れている。

そんな単純なものではありません。

昔から続いているものでも、今の子供に有効なら使う。

新しい方法でも、良いと思えば取り入れる。

逆に、昔から続いていても必要がなくなれば見直す。

新しいものでも、目的に合わなければ採用しない。

判断基準は、

「新しいか古いか」ではなく、「何のために行うのか」

です。


18.卒業生が親になって戻ってくる

第530号「不変のものはいつも最先端」には、長く続いてきたからこそ見える光景も書かれています。

かつて、ようどう館で泳いでいた子供達。

その子達が大人になり、

今度は自分の子供をようどう館へ連れてくる。

親が、

「自分もここで泳いでいました」

と言う。

先生からすれば、

「えっ、あなたがもうお父さん、お母さんに!?」

ということもあります(笑)。

親子二代で同じ場所に通う。

それがさらに続けば、三代になるかもしれません。

その時、

昔とまったく別の教室になっているのではなく、

親が習った時と同じ基本が、今も残っている。

一方で、今の子供には今の子供に合った方法で教える。

ここにも、不易流行があります。


19.変えないことには責任がある

「昔からやっているから変えません」

というのは簡単です。

しかし、本当に変えないのであれば、

なぜ変えないのかを説明できなければなりません。

顔上げ足ピンを、なぜ続けるのか。

脱力を、なぜ重視するのか。

25mで終わらず、なぜその先へ進ませるのか。

なぜ400mを一つの目標にするのか。

なぜ挨拶や返事を大切にするのか。

なぜテスト会を行うのか。

その一つひとつに、

「昔からそうだから」以外の理由

を持つ必要があります。

そうでなければ、それは伝統ではなく、単なる惰性になってしまいます。


20.変えることにも責任がある

反対に、

「時代が変わったから」

というだけで、何でも変えればよいわけでもありません。

新しいものが出た。

他の教室がやっている。

世間で流行っている。

それだけで飛びつけば、ようどう館として大切にしてきたものを失う可能性があります。

変える時にも、

なぜ変えるのか。

を考える。

子供達にとってよいのか。

安全性はどうか。

泳力向上につながるのか。

ようどう館の目的と合っているのか。

変えないことにも理由が必要です。

変えることにも理由が必要です。

これが「不易流行」を実践する難しさです。


21.「研究所」の名前に負けないために

水泳指導研究所ようどう館。

現館長は、

「水泳指導研究所の名前に負けないようにしなければ」

と考えています。

研究とは、新しいものを何でも取り入れることではありません。

今やっていることを疑ってみることも研究です。

なぜ、この練習なのか。

もっとよい方法はないのか。

昔からやっているけれど、本当に必要なのか。

新しい方法があるけれど、こちらの方がよいのではないか。

そして、

やはり昔からの方法がよい

という結論になることもあります。

それも立派な検討です。

変えるために考える。

残すためにも考える。

その両方を続けることが、「研究所」という名前に込めるべき姿勢なのでしょう。


22.不易流行は、完成しない

「これが不易です」

「これが流行です」

と、一度決めれば終わりではありません。

今は変えてはいけないと思っているものでも、将来は見直す必要が出てくるかもしれません。

反対に、一時的な方法だと思って始めたものが、何十年も残ることもあります。

「顔上げ足ピン」のように。

だから、不易流行とは、

完成した答えではなく、問い続ける姿勢

でもあります。

何を守るのか。

何を変えるのか。

なぜ守るのか。

なぜ変えるのか。

ようどう館が続く限り、この問いも続きます。


23.2029年、創立50周年へ

1979年8月1日に始まったようどう館は、2029年に創立50周年を迎えます。

半世紀です。

創立当初の10.5mプールで泳いでいた子供達は、すでに親となり、中には孫がいても不思議ではない年代になっています。

時代は大きく変わりました。

しかし、創立当初の三つの目標は今も残っています。

正しい泳ぎをおぼえます。
礼儀正しい子供になります。
強い身体の子供になります。

「水泳を通しての子供達の教育」という考えも残っています。

「プラス+α」も、

「心と体を育てます」も、

そこから生まれてきました。

初心者が最初にプカ〜ンと浮く基本も残っています。

一方で、指導方法は磨き続けています。

子供達も変わります。

社会も変わります。

水泳を取り巻く環境も変わります。

だから、ようどう館も変わります。

しかし、

変わるために変わるのではありません。

変えてはいけないものを守るために、変わる。

それが、これから50周年へ向かうようどう館に必要な姿勢です。


この章のまとめ

ようどう館にとっての「不易流行」とは、

昔のやり方を、そのまま守り続けることではありません。

初代館長が繰り返した、

「水泳を通しての子供達の教育」

創立以来の、

「正しい泳ぎをおぼえます」
「礼儀正しい子供になります」
「強い身体の子供になります」

1984年の、

「ようどう館はプラス+αを考える」

そして現在の、

「心と体を育てます」

これらの根底には、同じ考えが流れています。

また、指導面でも、

水に慣れる。
浮く。
脱力する。
バタ足。
手回し。
息継ぎ。
泳げるようになる。

という基本は長年受け継がれてきました。

しかし、そこへ導く方法は一つではありません。

「本館にはマニュアルがありません。しかし『テスト会基準表』という到達目標はあります。」

目的地は共有する。

方法は目の前の子供に合わせる。

昔からの方法でも、今も必要なら残す。

新しい方法でも、必要なら取り入れる。

変える時にも理由を考える。

変えない時にも理由を考える。

ようどう館の「不易流行」を一言で表すなら、

守り続けるのは目的と基本。
磨き続けるのは、そこへ導く方法。

ということになるでしょう。

2029年には、創立50周年を迎えます。

50年という時間の中で変わったものはたくさんあります。

これからも変わっていくでしょう。

それでも、

何のために水泳を教えるのか。
子供達に何を残したいのか。

そこを見失わない。

そして、その目的を実現するための方法は、これからも研究し続ける。

変わらないものを守るために、変わり続ける。

それが、水泳指導研究所ようどう館の「不易流行」です。