第12章 おたよりから見る、ようどう館

― 書き続けてきたこと、考え続けてきたこと ―

ようどう館には「おたより」がある

ようどう館には、長年発行し続けてきた「おたより」があります。

水泳の指導方法。

子供達のこと。

教育について考えたこと。

健康や運動。

学校水泳。

世の中の出来事。

自分自身の失敗談。

時には食べ物。

時にはラーメン(笑)。

テーマは実にさまざまです。

おたよりは毎月発行ですが、現館長はそのうちの年に大体9回、おたよりを書いています。

一つひとつは、その時に考えていたことを書いた文章にすぎないかもしれません。

しかし、何十年分も並べて読んでみると、別のものが見えてきます。

同じテーマを何度も書いている。

昔と今で考え方が変わっている。

昔書いた文章を読み返して、現在の視点から考え直している。

そして、何十年経っても同じことを書いている。

つまり、おたよりは単なる会員向けのお知らせではありません。

ようどう館が何を考え、何を大切にし、どのように変わってきたのかを残した記録でもあります。

この百科事典そのものも、その膨大なおたよりがなければ、ここまで詳しくつくることはできませんでした。

最終章では、おたよりを通して、ようどう館を振り返ります。


1.おたよりには、その時の「ようどう館」が残っている

おたよりの面白いところは、後から整えて書いた歴史書ではないことです。

その時、その時に考えていたことが書かれています。

1984年3月、第62号では、

「ようどう館はプラス+αを考える」

と書いています。

創立からまだ5年も経っていない頃です。

それから何十年も経った第552号「創立45周年を迎えます」では、

「創立以来『子育て』の一端を担いたいと努力を続けています。」

と書いています。

40年以上離れた二つの文章を並べると、表現は違っても、根底にあるものはよく似ています。

水泳を教える。

しかし、水泳だけでは終わらない。

子供達の成長にも関わりたい。

この百科事典で何度も登場した、

「水泳を通しての子供達の教育」

という考えが、長い時間の中で繰り返し現れています。


2.おたよりは「理念を残す場所」でもあった

企業や組織には、理念や方針をまとめた文章があります。

しかし、本当にその組織が何を考えているのかは、きれいに整理された理念文だけでは分からないことがあります。

日々、何について悩んでいるのか。

何を見て腹を立てるのか。

何を見て嬉しいと思うのか。

何を失敗したと感じるのか。

そこに、その人や組織の考え方が表れます。

ようどう館の場合、それが「おたより」に残っています。

第282号「厳しいの基準」を読めば、厳しさをどう考えていたのかが分かります。

第304号「手前味噌」を読めば、指導課程と人間関係をどう考えていたのかが分かります。

第322号「守・破・離」を読めば、子供の成長をどう捉えていたのかが分かります。

第453号「不易流行」を読めば、何を守り、何を変えようとしていたのかが分かります。

一つひとつのおたよりが、ようどう館の考え方の断片なのです。


3.昔のおたよりを、現在の自分が読み返す

長く書き続けているからこそできることがあります。

昔の自分の文章を、現在の自分が読むことです。

第577号「見て育つ」では、約20年前の第345号「単純に」を引用しました。

昔から考えていたことを読み返し、

「今でもそう思う」

と確認する。

一方で、

「今なら少し違う書き方をする」

と思うこともあるでしょう。

人間の考え方は変わります。

社会も変わります。

知識も更新されます。

だから、昔書いたことがすべて現在も正しいとは限りません。

それでも昔の文章を消さずに残しておけば、

自分達が何を考えてきたのか

を振り返ることができます。

これは、長年おたよりを書き続けてきたからこそ得られた財産です。


4.おたよりには「変わらないもの」が見える

第11章「不易流行」で見てきたように、ようどう館には長年変わらない部分があります。

それは、おたよりを年代順に読むとよく分かります。

創立当初から、

正しい泳ぎ。

礼儀。

身体を強くすること。

水泳を通した教育。

脱力。

泳力を身につけること。

努力。

自立。

人との関わり。

こうしたテーマが、何度も登場します。

全く同じ文章を繰り返しているわけではありません。

その時に起きた出来事をきっかけに、同じ根っこの問題を別の角度から書いています。

だから何十年分も読むと、

「この人は結局、ずっとこれを考えているんだな」

というものが見えてきます(笑)。

それが、その人の考え方であり、ようどう館らしさなのでしょう。


5.おたよりは、完成した答えを書く場所ではない

おたよりには、

「これが絶対に正しい」

という完成された答えばかりが書かれているわけではありません。

むしろ、

「これはどうなのだろう?」

と考えながら書いたものがたくさんあります。

第404号「今の時間を」では、

「では子育てに正解はあるのでしょうか?」

と問い掛けています。

第281号では、自立と自律について考えています。

第469号では、自分に適したスポーツとは何かを考えています。

第570号では、身体だけでなく「心にも栄養を」という視点から健康を考えています。

書くという行為そのものが、

自分の考えを整理する作業

になっています。

おたよりは「答えを教える文章」であると同時に、

館長自身が考えるための文章

でもあったのです。


6.子供達を見て、考える

おたよりのテーマの多くは、日々の指導の中から生まれています。

第505号「泳力を把握していますか?」は、他のスイミングに何年も通っていたという子供が、実際には息継ぎができなかった経験から始まります。

第514号「ビート板無しで浮かべた!」では、ビート板から手を離すことを怖がっていた子が、できるようになった途端に何度も繰り返す姿を見ています。

第525号「指示が通らなくなってきた」では、子供達への指示が以前より通りにくくなったという現場感覚から、どう伝えるかを考えています。

第577号「見て育つ」では、子供が自分への指導だけでなく、周囲の子への褒め方や注意の仕方まで見ていることに注目しています。

そして第578号「一般開放」では、自由に遊べる時間なのに「モーターボート」を何度も繰り返す子供を見て、

できるようになったこと自体が遊びになる

という姿に出会いました。

つまり、おたよりを書くためにテーマを探しているのではなく、

子供達を見ていると、テーマが生まれる。

そんな関係になっています。


7.自分自身も題材になる

おたよりに登場するのは、子供達だけではありません。

現館長自身も、かなりの頻度で題材になります。

そして、決して格好いい話ばかりではありません(笑)。

第381号「言葉に気持ちを込める」では、子供に挨拶を求めながら、自分がパソコンを見たまま挨拶を返してしまうことを振り返っています。

第404号「今の時間を」では、自分自身の子育てについて考えています。

第445号「演じる」では、大人も最初から完成しているわけではなく、役割を「演じる」ことから身についていく場合があると考えています。

第481号「小学校で水泳指導」では、自分が実際に学校の水泳指導に関わった経験から、学校水泳について考えています。

つまり、

子供にはこうしなさいと言うけれど、自分はどうなのか。

という視点があります。

子供を指導する側も、完成した人間ではありません。

間違える。

失敗する。

考え直す。

それも、おたよりには残っています。


8.水泳の話から、どんどん脱線する(笑)

おたよりのテーマは、水泳だけではありません。

教育。

健康。

食事。

スポーツ。

社会。

AI。

家族。

友人。

日常生活。

そして時には、

たこ焼。

土鍋。

ラーメン。

水泳教室のおたよりなのに、

「今月は水泳の話がほとんどないな」

という号もあります(笑)。

しかし、一見水泳と関係がない話から、最後には、

子供。

教育。

健康。

続けること。

人との関わり。

などへつながっていくことがあります。

これも、おたよりの特徴です。


9.食べることも、何度も書いてきた

健康や運動について書けば、当然「食べること」にも話が広がります。

代表的なものが、第413号「もっと米を!」です。

運動する身体をつくるために、食事をどう考えるか。

その時々の知識や自身の経験をもとに書いてきました。

また、第350号では土鍋について書いています。

健康論のような話から始まったはずが、結局、

美味しいものを食べる話になっている。

というのも、現館長のおたよりらしいところかもしれません(笑)。

ただし、食事や健康に関する知識は更新されます。

昔のおたよりに書いた内容を、そのまま現在の医学・栄養学上の事実として扱うことには注意が必要です。

おたよりは、その時点で現館長が知り、考えていたことの記録として読む必要があります。


10.健康についても、ずいぶん書いてきた

長年のおたよりには、健康をテーマにしたものも数多くあります。

運動。

疲労。

乳酸。

自律神経。

食事。

健康寿命。

身体の痛み。

さまざまな健康法。

そして、自分自身で試したもの。

例えば第512号「痺れの原因」では、左腕の痺れをきっかけに、自分が実際に受けた施術や説明について書いています。

しかし、個人が経験したことと、医学的に確認された因果関係は同じではありません。

第572号「健康情報との向き合い方」では、健康情報について、

情報そのものが正しいのか。
そして、自分に合っているのか。

を考える必要性にも目を向けています。

これは、過去のおたよりを現在読み返す時にも大切な姿勢です。

昔の文章を、

「当時はこう考えていた」

と読む。

現在の知見で確認が必要なものは確認する。

間違っていたなら修正する。

それでよいのです。


11.「書いたことがある」からこそ、考え直せる

長く書き続ける利点は、

過去の自分の考えが残っている

ことです。

人間の記憶は都合よく変わります。

「昔からそう思っていた」

と思っていても、文章を読み返すと、

「あれ? 全然違うことを書いている」

ということもあるでしょう(笑)。

逆に、

「この頃から同じことを考えていたのか」

と驚くこともあります。

記録があるから比較できます。

比較できるから、

変わったことと、変わっていないこと

が分かります。

おたよりは、ようどう館の「不易流行」を確認する資料でもあるのです。


12.「たまたま」を大切にする

第556号「たまたま」では、ラジオをきっかけに偶然知ったことなどから、好奇心について考えています。

今は、欲しい情報を検索すれば、かなり正確に見つけられます。

便利です。

しかし、検索するということは、

自分が探しているものしか見つからない

という面もあります。

ラジオを聞いていたら、知らない音楽が流れてきた。

広告で知らないものを知った。

誰かとの会話から、思いもよらない話を聞いた。

そうした偶然から興味が広がることがあります。

おたよりのテーマも似ています。

最初から、

「今月は教育論を書くぞ!」

と決めて始まったものばかりではありません。

日常の中で、

「あれ?」

と思ったことがテーマになります。

好奇心を持ち続けることは、書き続けるためにも大切です。


13.書くためには、日常を見る必要がある

おたよりを長年書き続けると、

日常の見え方も少し変わります。

子供の行動を見る。

新聞を読む。

人と話す。

泳ぐ。

食事をする。

旅行へ行く。

失敗する。

すると、

「これはおたよりになるかもしれない」

と思うことがあります。

第456号「人との関わり方」は、飲食店の大将との会話から始まります。

第510号「ポイ捨て」は、福岡の交差点で信号待ちをしている時に見た光景から始まりました。

第556号「たまたま」はラジオ。

第578号は一般開放での子供達。

何気ない出来事も、

なぜだろう。
自分ならどう考えるだろう。

と一度立ち止まることで、文章になります。


14.AIにおたよりを書かせてみた

そして時代は進み、AIが文章を書くようになりました。

第569号「AIに頼ってみました」では、現館長自身がAIを使っています。

それまで約26年分のおたよりのタイトルをAIに与え、

「自分はどんなテーマについて書いてきたのか」

を分析させました。

さらに、AIに文章も書かせています。

すると、それなりの文章が出来上がります。

文章を形にするだけなら、驚くほど簡単になりました。

しかし、現館長は、それを読んで、

自分が書く文章とは違う

と感じています。

そして、

「推敲は自分でやる必要があります」

という結論になります。

AIが文章をつくれる時代だからこそ、

自分は何を考えているのか。
何を自分の言葉として残すのか。

ということが、より重要になってきました。


15.AIがあっても「考えること」は残る

AIは便利です。

文章を整理できます。

誤字を見つけられます。

資料をまとめられます。

昔のおたよりを分類することもできます。

実際、この百科事典をつくる作業でも、大量の過去資料を整理するためにAIを利用しています。

しかし、AIが、

「ようどう館は何を大切にするべきか」

を最終的に決めるわけではありません。

どの文章を残すのか。

昔の考えを今も採用するのか。

どこを修正するのか。

何を次の世代へ伝えるのか。

最後に判断するのは人です。

第569号「AIに頼ってみました」で現館長が感じた、

文章は生成できても、推敲は自分で行う

という感覚は、ようどう館のこれからにも当てはまります。

AIに考えてもらうのではなく、

AIも使いながら、自分で考える。

そんな時代になったのでしょう。


16.おたよりそのものが「研究」になっている

「水泳指導研究所」という名前について、第10章で触れました。

研究というと、実験や論文を想像します。

しかし、ようどう館のおたよりを何十年分も並べると、もう一つの「研究」の形が見えてきます。

子供を見て考える。

指導して考える。

うまくいかなければ考える。

昔の文章を読み返す。

別の資料を読む。

自分で試してみる。

そして文章にする。

何年か後、また考える。

これは、

考える → 試す → 書く → 振り返る → また考える

という繰り返しです。

おたよりは研究論文ではありません。

しかし、ようどう館が日々の指導や教育について考え続けてきた記録という意味では、

「水泳指導研究所」の研究ノートのような役割

も果たしてきたと言えるでしょう。


17.昔の文章を、そのまま正解にはしない

これは、この百科事典をつくるうえでも大切にしなければならないことです。

何十年も前のおたよりには、現在とは異なる時代背景があります。

教育についての考え方も変わっています。

医学や運動生理学の知識も更新されています。

社会の価値観も変わります。

ですから、

昔のおたよりに書いてあるから正しい

とはしません。

一方で、

昔の文章だから価値がない

ともしません。

その時に何を考えていたのか。

なぜそう考えたのか。

現在ならどう考えるのか。

そこを比較することに意味があります。

第11章の「不易流行」と同じです。

昔の文章も、

残すもの、読み直すもの、修正するもの

に分かれます。


18.おたよりが、ようどう館の記憶をつないでいる

人は入れ替わります。

子供達は卒業します。

先生も変わります。

初代館長も、もういません。

建物や設備も、いつか変わります。

しかし、文章は残ります。

第62号を開けば、1984年のようどう館に出会えます。

第281号を読めば、2002年に自立と自律をどう考えていたかが分かります。

第453号を読めば、「不易流行」について何を考えていたかが分かります。

第552号を読めば、創立45周年を迎えた時に何を振り返ったのかが分かります。

第577号を読めば、2026年に子供達を見ながら何を考えていたのかが分かります。

その時代のようどう館が、文章の中に残っている。

これがおたよりの大きな価値です。


19.一般開放で見えた45年以上の時間

2026年8月22日の一般開放には、佐賀校・大和校合わせて約90名の子供達が遊びに来てくれました。

現会員だけではありません。

友達。

元会員。

そして、親子。

その中には、父親自身がようどう館の卒業生という家族もいました。

かつて子供として泳いでいた人が、親になり、自分の子供を連れてくる。

そして、その子供が同じプールで遊んでいる。

これは、45年以上続いてきたからこそ見られる光景です。

第530号「普遍のものはいつも最先端」でも、かつての会員が親になって子供を連れてくることについて書いています。

歴史とは、年表だけではありません。

人から人へつながっていく時間

でもあります。


20.40周年に集まった70名を超えるOB・OG

2019年、ようどう館は創立40周年を迎えました。

第496号「いろいろ雑感」には、その時に開かれた集まりについて書かれています。

この会は、ようどう館が主催したものではありません。

OB・OGが中心となって企画してくれたものでした。

集まったのは、20代から50代までの70名を超えるOB・OG。

県外から参加してくれた人もいました。

子供の頃に同じプールで泳いでいた人達が、大人になって集まる。

何十年も会っていなかった人もいたでしょう。

水泳を続けている人もいれば、もう泳いでいない人もいたでしょう。

それでも、

「ようどう館で泳いでいた」

という共通点で集まってくれました。

現館長にとって、それは非常に大きな出来事でした。


21.「創立50周年は大々的にやらなくては!」

その40周年の集まりを受け、第496号「いろいろ雑感」で現館長は、

「創立50周年は大々的にやらなくては!と心に誓いました。」

と書いています。

2019年のことです。

その時には、50周年はまだ10年先でした。

しかし、その2029年が少しずつ近づいています。

1979年8月1日。

自宅の庭につくられた10.5mのミニプールから始まったようどう館。

1981年には佐賀校。

1983年には大和校が現在地へ。

1999年には初代館長が亡くなり、次の世代へ。

2019年には40周年。

2024年には45周年。

そして、

2029年、創立50周年。

半世紀です。


22.50周年に何を残すのか

50周年を迎えること自体が目的ではありません。

大切なのは、

50年続いた中で、何が残ったのか。

ということです。

建物でしょうか。

プールでしょうか。

級でしょうか。

トロフィーでしょうか。

もちろん、それらも歴史の一部です。

しかし、この百科事典を第1章から読み返すと、もっと根本にあるものが見えてきます。

創立以来の三つの目標。

正しい泳ぎをおぼえます。
礼儀正しい子供になります。
強い身体の子供になります。

初代館長の、

「水泳を通しての子供達の教育」

1984年の、

「ようどう館はプラス+αを考える」

現在の、

「心と体を育てます」

そして、

子供達を泳げるようにすること。

これらが、ようどう館の中心にあります。


23.50年目にも「プカ〜ン」と浮いているかもしれない

1979年。

みどり団地の10.5mプール。

そこで初心者の子供達が行っていた練習の一つが、

「顔上げ足ピン」

でした。

2026年。

今も初心者の子供達は、

プカ〜ン

と浮くところから始めます。

設備は変わりました。

社会も変わりました。

子供達を取り巻く環境も変わりました。

指導方法も磨いてきました。

しかし、最初に力を抜いて浮くという基本は残っています。

2029年、創立50周年を迎えた時にも、

初心者の子供がビート板を持って、

プカ〜ン

と浮いているかもしれません。

そう考えると、50年という時間が急に身近に感じられます。


24.「命を守れる泳力」も次の時代へ

ようどう館が子供達に身につけてほしいものの中心には、泳力があります。

25mを泳ぐ。

そこで終わらない。

50m。

100m。

さらに長く泳ぐ。

日高先生の研究を一つの根拠として、400mを「命を守れる泳力」を考えるための大切な目標としてきました。

もちろん、第5章で確認したように、

400m泳げれば絶対に安全

という意味ではありません。

自然の水はプールとは違います。

危険を避ける知識も必要です。

泳力を過信しないことも必要です。

それでも、

実際に泳げる力を身につけること

は、水泳教室として次の世代にも残していきたいものです。

日高先生の、

「情報過多の時代だから色々リクエストがあるだろうけど、あなた達はまずは泳げる子供を育てんといかんぞ!」

という言葉も、その意味でこれからへつながっていきます。


25.次の50年へ何を渡すのか

50周年は、一つの節目です。

しかし、そこで終わるわけではありません。

50周年を迎えれば、その翌日は、

51年目のようどう館

です。

初代館長から現在へ。

現在から、その次へ。

何を渡すのか。

第11章で考えた「不易流行」が、ここでも重要になります。

すべてをそのまま渡す必要はありません。

むしろ、それではいけません。

時代に合わなくなったものは変える。

よりよい方法があれば取り入れる。

昔の考えが現在の知見と合わなければ修正する。

しかし、

何のために水泳を教えるのか。

そこは、簡単に失ってはいけません。


26.おたよりも、未来への引き継ぎ資料になる

この百科事典をつくるために、過去のおたよりを読み返すと、

「これを書いておいてよかった」

と思う文章がいくつもあります。

もし第62号が残っていなければ、1984年の時点ですでに「プラス+α」を考えていたことを、これほどはっきり確認できなかったでしょう。

第453号がなければ、当時「不易流行」をどう考えていたかも分かりません。

第530号がなければ、40年以上変わらない指導課程をどう捉えていたかも残りません。

第553号がなければ、「心と体を育てます」がスタッフの投票によって選ばれた経緯も、やがて曖昧になっていたかもしれません。

文章にして残すことは、

未来の人へ、その時代の考えを渡すこと

でもあります。

だから、おたよりを書くことには、会員の皆さんへ今伝える以上の意味があります。


27.この百科事典も、同じ役割を持つ

そして、この「ようどう館百科事典」も同じです。

これは、ようどう館を立派に見せるためだけにつくったものではありません。

何を大切にしてきたのか。

なぜ400mなのか。

なぜ25mで終わらないのか。

なぜ注意するのか。

なぜ褒めるのか。

なぜ脱力なのか。

なぜ「顔上げ足ピン」なのか。

なぜテスト会をするのか。

なぜ「心と体を育てます」なのか。

それらを、一度きちんと言葉にして残す。

そして将来、

「ようどう館では昔からこうだから」

ではなく、

「なぜ、そうしているのか」

を次の人が考えられるようにする。

この百科事典には、その役割もあります。


28.2029年の創立50周年に向かって

1979年8月1日。

ようどう館は、一つの小さなプールから始まりました。

それから半世紀近く。

数え切れないほどの子供達が、このプールで初めて顔を水につけました。

初めて浮きました。

初めて25mを泳ぎました。

テスト会に合格して喜びました。

落ちて悔しがりました。

先生に褒められました。

叱られました。

友達と笑いました。

そして、卒業していきました。

その子供達の中には、親になって自分の子供を連れて戻ってきた人もいます。

40周年には、70名を超えるOB・OGが集まってくれました。

一般開放では、卒業生だった父親が自分の子供と同じプールにいました。

こうして考えると、ようどう館の歴史は、建物や年表だけでできているのではありません。

ここで泳いだ一人ひとりの時間が重なって、ようどう館の歴史になっています。

2029年。

創立50周年。

その時、どんな子供達が泳いでいるのでしょう。

どんな先生達がプールサイドに立っているのでしょう。

どんなおたよりを書いているのでしょう。

分かりません。

しかし、残しておきたいものはあります。

子供達を泳げるようにすること。

命を守れる泳力を目指すこと。

正しい泳ぎを教えること。

礼儀を大切にすること。

身体を育てること。

できたことを褒めること。

できない理由を考えること。

危険なことには「それは違う」と伝えること。

そして、水泳を通して子供達の成長の一端を担うこと。

そのために、変えるべきものは変える。

守るべきものは守る。

考えることをやめない。

それが、50周年へ向かうようどう館の姿であり、その先へ続いていくために必要なことだと考えています。


この章のまとめ

ようどう館のおたよりは、単なる会員向けのお知らせではありません。

何十年にもわたり、

水泳。
指導。
教育。
子供。
健康。
家族。
人との関わり。
社会の変化。
そして、自分自身。

について考えてきた記録です。

昔のおたよりには、現在とは異なる知識や考え方もあります。

だから、そのまま正解として扱うのではなく、

その時に何を考えていたのかを知り、現在の視点でもう一度考える。

それが大切です。

第62号の、

「ようどう館はプラス+αを考える」

第453号の、

「不易流行」

第553号の、

「心と体を育てます」

そして第569号では、AIが文章を書ける時代になっても、自分で推敲し、自分の言葉にすることの必要性を感じています。

おたよりを書き続けてきたことは、

考え続けてきたこと

でもありました。

そして2019年、40周年の集まりに70名を超えるOB・OGが集まった時、現館長は、

「創立50周年は大々的にやらなくては!と心に誓いました。」

と書きました。

その50周年は、2029年です。

1979年に始まった小さなプールから、半世紀。

次の時代へ何を残すのか。

答えは、これまでの12章の中にあります。

泳げるようにする。

25mで終わらない。

命を守れる泳力を目指す。

褒めるべき時には褒め、注意すべき時には注意する。

水泳を通して、心と体を育てる。

子供が自分でできることを少しずつ増やす。

続けることの意味を伝えながら、休むことや別の道を選ぶことも認める。

脱力から始まり、一人ひとりに届く指導を磨き続ける。

そして、

変わらないものを守るために、変わり続ける。

おたよりは、その時々のようどう館を記録してきました。

この百科事典は、その長い記録を一度整理し、次へ渡すためのものです。

2029年の創立50周年へ。

そして、その先へ。

ようどう館の歴史は、まだ続いていきます。