― 継続が生み出すもの ―
「できた!」の、その先へ
―続けること、休むこと、そして自分で選ぶこと―
水泳は、始めたその日に身につくものではありません。
水に顔をつける。
浮く。
バタ足をする。
手を回す。
息継ぎを覚える。
25mを泳ぐ。
平泳ぎを覚える。
100mを泳ぐ。
その一つひとつに時間がかかります。
だから、水泳の上達には「続けること」が大きく関わります。
しかし、
長く続ければ、それだけでよいのでしょうか。
そう単純ではありません。
頑張って続ける時があります。
少し休む時もあります。
続け方を変えることもあります。
そして時には、そこから離れた方がよい場合もあります。
子供の頃には嫌々続けていたものが、大人になって大切なものになることもあります。
反対に、好きだったものでも、環境や目標が変われば距離を置くことがあります。
ようどう館が長年考えてきた「続けること」は、
何があってもやめないこと
ではありません。
続ける。
休む。
続け方を変える。
時には退く。
そして、また始める。
そのすべてを含めて考えてみます。
1.上達するためには、やはり時間が必要
水泳は、一度教えればできるようになるものではありません。
頭で理解しても、身体がその通りに動くとは限りません。
浮く。
バタ足をする。
息継ぎをする。
平泳ぎのキックをする。
何度も繰り返すうちに、少しずつ身体が覚えていきます。
第440号「上達因子」では、水泳の上達について、
先天的な資質
だけでなく、
本人の努力、保護者の応援、指導者、練習環境、練習量
など、複数の要素が関わっていると考えています。
つまり、上達を子供本人の「才能」や「頑張り」だけの問題にすることはできません。
指導する側にも責任があります。
第440号「上達因子」では、指導者という要素について、
「これは本館の指導陣が気合いを入れて臨まなければなりません。」
と書いています。
子供が上達しない時、
「本人の努力が足りない」
で終わらせない。
指導方法はどうか。
練習環境はどうか。
その子に合った練習になっているか。
周囲がどのように支えているか。
上達には、さまざまな条件が関係します。
2.上達は一直線ではない
練習を続ければ、毎回少しずつ同じ割合で上達する。
実際の子供達を見ていると、そんなにきれいには進みません。
昨日できたことが、今日はできない。
しばらく同じところで止まっているように見える。
ところが、ある日突然できる。
水泳の上達には、そんなことがよくあります。
第440号「上達因子」で上達について考えた時にも、単純な一直線というより、階段を上がるような上達を意識しています。
練習しているのに、なかなか結果が見えない時期がある。
しかし、その間にも身体の中では経験が積み重なっているかもしれません。
だから、
「今、伸びていないように見える」ことと、「何も身についていない」ことは同じではありません。
続けることの価値の一つは、この見えない時間を越えられることにあります。
3.子供の時には、続ける価値が分からないこともある
第280号「親の決定権」では、子供の習い事について、親がどこまで決定するのかを考えています。
当時のようどう館では、平均在籍期間が2年2か月だったことも記されています。
これは当時の数字であり、現在の平均在籍期間を示すものではありません。
水泳を始めたばかりの子供に、
「このまま何年も続けたら、将来どんな価値があると思う?」
と聞いても、分からないでしょう。
当然です。
まだ経験していない未来のことだからです。
子供が、
「今日は行きたくない」
と言う。
その時に、
「本人が嫌だと言うなら、すぐやめよう」
とするのか。
「始めた以上、絶対にやめさせない」
とするのか。
どちらか一つで決められる問題ではありません。
前章で取り上げたように、現館長自身も、子供の頃には水泳をやめたいと思った時期がありました。
それでも父親の意向で続けました。
そして現在では、水泳を続けてきたことを自分の人生の大切な部分として捉えています。
子供の時の「今の気持ち」と、大人になってから振り返った時の価値は、同じとは限りません。
4.大人が「導く」時期
第338号「導く」では、現館長自身の経験を通して、大人が子供をある方向へ導くことについて考えています。
子供は経験が少ない。
だから、
「もう嫌だからやめる」
という判断の先に何があるのかまで見通せないことがあります。
そこで、大人が、
「もう少し続けてみよう」
と背中を押す。
そんな役割もあります。
ただし、これは、
「親が決めたことなら、子供は何があっても従うべき」
という話ではありません。
子供は成長します。
やがて、自分自身の考えを持つようになります。
最初は大人に導かれて始めたことでも、続けていくうちに自分自身のものになることがあります。
現館長にとって水泳は、その一例でした。
5.努力すれば、必ず結果が出るのか
「努力は大切です」
これは、ようどう館が子供達に伝えたいことの一つです。
しかし、
努力すれば、必ず思い通りの結果が出る。
とは言えません。
第518号「オリンピックを振り返って」では、努力と結果について考えています。
一生懸命練習しても、テスト会に落ちることがあります。
大会で目標タイムが出ないこともあります。
努力した全員が一番になれるわけでもありません。
能力。
体格。
環境。
体調。
相手。
運。
さまざまなものが結果に影響します。
だから、
「結果が出なかった=努力が足りなかった」
と簡単に決めることはできません。
それでも、努力する経験に意味がないわけではありません。
6.「極めなくとも、その過程で得るものがある」
第473号「〇〇道」には、続けることを考えるうえで大切な言葉があります。
「極めなくとも、その過程で得るものがたくさんあるはずです。」
水泳を始めた子供全員が、競泳選手になるわけではありません。
1級まで進む子もいれば、その前に退会する子もいます。
長く続ける子もいれば、途中から別のスポーツへ進む子もいます。
それでも、
できなかったことを練習した。
少しずつ上達した。
失敗した。
悔しい思いをした。
もう一度挑戦した。
仲間と練習した。
先生に注意された。
褒められた。
テスト会に合格した。
そうした経験は残ります。
何かを極めなければ、それまでの時間が無駄になるわけではありません。
続けた過程そのものに価値がある。
これは、水泳だけに限った話ではないでしょう。
7.頑張ることは、限界まで我慢することではない
「続けることが大切」
と言い続けると、一つ危険な誤解が生まれます。
つらくても、何があっても我慢して続けなければならない。
という考えです。
ようどう館は、そう考えていません。
第336号「休憩の存在感」では、練習中に本当にきつければ休んでよいことを伝えています。
第484号「3本目は元気な人だけ」でも、
「きつか人は3本目を休んでよかけんね!」
と声を掛けています。
頑張る。
疲れたら休む。
回復したら、またやる。
休むことは、続けることの反対ではありません。
長く続けるために、休むことが必要な時もあります。
8.「逃げるべき時は逃げるべき」
さらに踏み込んだ文章が、第461号「逃げる」にあります。
そこで現館長は、
「でも逃げるべき時は逃げるべき。」
と書いています。
「逃げるな」
「最後まで頑張れ」
という言葉は、時に人を奮い立たせます。
しかし、どんな状況でもそれが正しいわけではありません。
身体を壊している。
心身に大きな負担がかかっている。
環境そのものに重大な問題がある。
そのような時まで、
「続けることが美徳だから」
と我慢し続ける必要はありません。
続けることには価値があります。
しかし、
続けること自体を目的にしてはいけない。
状況によっては、休む。
距離を置く。
場所を変える。
やめる。
そうした選択もあります。
9.やめることと、逃げることは同じではない
一つのスポーツをやめて、別のスポーツへ進む。
これは失敗でしょうか。
第469号「適したスポーツ」では、自分に合ったスポーツについて考えています。
子供の時に始めたスポーツが、その子に最も合ったスポーツとは限りません。
水泳をやってみた。
その後、柔道に興味を持った。
バスケットボールが面白くなった。
サッカーをやりたくなった。
音楽や勉強など、スポーツ以外に夢中になるものができた。
そういうこともあります。
ようどう館を退会する理由にも、
他の競技を始める。
中学校へ進学する。
受験勉強に力を入れる。
など、さまざまなものがあります。
何かをやめることは、
それまでを否定することではありません。
水泳で身につけたものを持って、次へ進むこともできます。
10.目標を失うこともある
続けていても、目標が見えなくなることがあります。
第504号「生きがいが幻になった時」では、コロナ禍によって大会やイベントが中止され、目標を失った時期について書いています。
大会を目標に練習していた。
しかし、大会がない。
いつ再開するかも分からない。
すると、
「何のために練習するのだろう」
という気持ちになることがあります。
これは子供でも大人でも同じです。
目標があるから頑張れることがあります。
逆に、目標がなくなると続けにくくなることがあります。
そんな時には、
以前と同じ形で続けることにこだわらなくてもよいのかもしれません。
練習量を変える。
新しい目標を探す。
楽しむことを目的にする。
仲間と会うために泳ぐ。
続け方を変える。
これも「続ける」の一つの形です。
11.競う水泳と、楽しむ水泳
現館長は現在もマスターズ水泳の大会に出場しています。
しかし、いつも全力で記録を狙っているわけではありません。
第462号「現状維持」では、25m自由形で12秒85を出した時のことを書いています。
短い距離を全力で泳ぐ。
記録を狙う。
それには大きな負担があります。
一方で、普段は仲間と泳ぐこと自体を楽しむ。
練習後のラーメンを楽しむ(笑)。
水泳との付き合い方は一つではありません。
速くなるために泳ぐ。
健康のために泳ぐ。
大会に出るために泳ぐ。
友人と会うために泳ぐ。
ただ水の中が気持ちいいから泳ぐ。
年齢や生活によって、目的は変わってよいのです。
12.「頑張る」を覚えてほしい。でも「ボチボチ」もある
第533号「頑張るということ」では、子供達に頑張る経験をしてほしいという考えが書かれています。
簡単にできることばかりではなく、
少し難しいことに挑戦する。
できるまで繰り返す。
そんな経験には意味があります。
しかし一方で、現館長自身のマスターズ水泳については、
「ボチボチ」
という言葉も出てきます。
これは矛盾しているようで、そうではありません。
いつでも100%で頑張り続けることはできません。
勝負する時もある。
のんびり泳ぐ時もある。
一度離れる時もある。
また頑張りたくなる時もある。
長く続けることを考えれば、
常に全力である必要はない。
ということです。
13.仲間がいるから続く
水泳は個人競技ですが、長く続けている人を見ると、周囲の人とのつながりが大きな意味を持つことがあります。
第486号「拠り所」などでは、水泳を通した仲間との関係が描かれています。
毎週決まった日に集まる。
一緒に泳ぐ。
大会へ行く。
練習後に食事をする。
くだらない話もする(笑)。
「今日は泳ぎたくないなあ」
と思っていても、仲間が泳いでいるのを見ると、
「少し泳ぐか」
という気持ちになることがあります。
続ける理由が、
泳ぐことそのものだけではなく、人とのつながりになる。
そんな時期もあります。
14.19歳から76歳まで、一緒に泳ぐ
第437号「佐賀県マスターズ大会」には、マスターズ大会に参加した「団子会」の仲間達について書かれています。
その大会には53名が参加。
年齢は19歳から76歳まで。
平均年齢は36歳でした。
若い人もいる。
中年もいる。
70代もいる。
同じ大会に参加し、リレーを泳ぐ。
水泳は、年齢を重ねても続けることのできるスポーツの一つです。
そして第437号「佐賀県マスターズ大会」で、現館長はこんなことを書いています。
「長く水泳を続けてきて良かったと思います。子供の頃は止めたくてしょうがなかった私がこのように思うようになるなんて。。。」
これは、「続けること」の意味を考えるうえで、とても象徴的な言葉です。
子供の頃には、
やめたくてしょうがなかった。
しかし何十年も後には、
続けてきてよかった。
と思っている。
人生には、そういうこともあります。
15.だからといって、全員に「続けろ」とは言えない
現館長自身が、
「続けてきてよかった」
と思っている。
だから、
「すべての子供も絶対に水泳を続けるべきだ」
となるわけではありません。
それは別の話です。
人によって違います。
環境も違います。
目標も違います。
好き嫌いも違います。
第521号「テスト会賞状偽造事件」で見たように、大人が、
「ここまでは続けなさい」
と思っていても、子供本人は別の気持ちを抱えていることがあります。
一方で、現館長自身のように、子供の頃には分からなかった価値を、大人になって感じる場合もあります。
だから難しい。
続けさせることがいつも正しいわけでも、本人がやめたいと言ったらすぐやめることがいつも正しいわけでもありません。
その子の状況を見ながら考えるしかないのです。
16.6年後の再挑戦
第5章で紹介した、50歳から水泳を始めた現館長の友人。
2019年、虹の松原トライアスロンに挑戦しましたが、スイムの制限時間に間に合わず、残り約200mで終了しました。
そこで話が終わっていれば、
「一度挑戦して、できなかった」
という思い出だったかもしれません。
しかし、6年後。
2025年5月25日、天草のトライアスロンへ再び挑戦しました。
1.5kmのスイムを47分59秒で泳ぎ、自転車、ランニングも走り切り、3時間39分でゴール。
最初に水泳を始めることを決めてから、足掛け7年でした。
ここで面白いのは、
6年間ずっと同じ熱量で一つの目標だけを追い続けた、という単純な話ではない
ことです。
生活があります。
仕事があります。
年齢も重ねます。
それでも、かつて達成できなかったことへ、もう一度挑戦する時が来た。
続けることには、
「今すぐ結果を出す」以外の時間軸もある
のです。
17.9年ぶりのマスターズ
現館長自身にも、似た経験があります。
第568号「アスリート魂」では、9年ぶりにマスターズ大会へ出場した時のことを書いています。
100m個人メドレー。
目標は1分17秒。
結果は、
1分14秒82。
久しぶりに大会へ出る。
目標を決める。
練習する。
そして、思っていた以上のタイムが出る。
長く水泳を続けていても、付き合い方は一定ではありません。
競技から離れている時期もある。
健康のために泳ぐ時期もある。
また記録を狙いたくなる時もある。
続けるとは、同じことを同じ形で永遠に繰り返すことではない。
ということが分かります。
18.水泳が、人と人をつなぐ
2023年に福岡で世界水泳が開催された時、第541号「世界水泳選手権」では水泳を通じた人とのつながりについて書いています。
子供の頃から水泳を続ける。
大会で知り合う。
仲間になる。
何年も経って再会する。
同じ競技を続けてきたというだけで、話が通じることがあります。
ようどう館の40周年の集まりにも、20代から50代まで、70名を超えるOB・OGが集まりました。
県外から来てくれた人もいました。
子供の頃に一緒に泳いだ人達が、大人になって再び集まる。
水泳を続けた人もいる。
途中でやめた人もいるでしょう。
それでも、
同じプールで過ごした時間
が、人と人をつなぐことがあります。
「続けること」の意味は、泳力や記録だけではありません。
19.身体だけでなく「心にも栄養を」
第570号「心にも栄養を」では、健康について、身体だけではなく、好奇心や人とのつながり、達成感、楽しみといったものにも目を向けています。
新しいことに挑戦する。
仲間と会う。
目標を持つ。
できたことを喜ぶ。
笑う。
こうしたものを現館長は、自身の経験を通して大切にしています。
水泳を続ける理由も、
「身体に良いから」
だけではありません。
友達がいるから。
楽しいから。
大会に出たいから。
記録を狙いたいから。
泳いだ後のラーメンが美味しいから(笑)。
続ける理由は、一つでなくてよいのです。
20.続けることの形は変わっていい
子供の頃には、週に何回も練習する。
中学生になれば、部活動で泳ぐ。
大人になれば、週末だけ泳ぐ。
忙しくなれば、一時期泳がなくなる。
また時間ができたら戻ってくる。
大会に出る。
大会には出ず、健康のためだけに泳ぐ。
そうやって、付き合い方が変わっていくことがあります。
一度やめたら終わりではありません。
休んでもいい。
戻ってきてもいい。
別のスポーツへ行ってもいい。
そして何十年後かに、
「また泳いでみようかな」
と思うこともある。
子供の時に身につけた泳力が残っていれば、水泳は再び始めることのできる選択肢になります。
これも、泳力を「一生の財産」と考える理由の一つです。
21.続けることの価値は、その時には分からない
何かを続けている最中には、
それが将来どんな意味を持つのか分からないことがあります。
現館長自身、子供の頃には水泳をやめたくてしょうがなかった。
それが今では、水泳を教える仕事をしています。
大人になっても泳いでいます。
マスターズ大会にも出ます。
水泳を通じた仲間もいます。
子供の頃の本人には、そんな未来は想像できなかったでしょう。
もちろん、これは現館長の場合です。
すべての子供に同じ未来が待っているわけではありません。
だから、
「将来必ず役に立つから続けなさい」
とも言い切れません。
しかし一つ言えるのは、
続けることの価値は、続けている最中には分からないこともある。
ということです。
何年も経ってから、
「あの時やっていてよかった」
と思うことがあります。
反対に、
「あの時やめてよかった」
と思うこともあるでしょう。
それも含めて、その人の経験になります。
22.「続ける」だけが正解ではない
ようどう館は、子供達にできるだけ長く水泳を続けてほしいと考えています。
25mで終わるより、その先まで泳力を身につけてほしい。
100m。
平泳ぎ。
4泳法。
そして、「命を守れる泳力」へ。
その意味では、続けることには大きな価値があります。
しかし、
長く在籍することそのものを最終目的にはしていません。
大切なのは、その時間の中で何を身につけたかです。
泳力。
努力した経験。
できなかったことができた経験。
仲間との時間。
自信。
悔しさ。
そして、自分で何かを選ぶ経験。
水泳を続けることも選択です。
やめることも選択です。
別の道へ進むことも選択です。
成長とともに、その選択を少しずつ本人ができるようになる。
それは前章で考えた「自立・自律」にもつながります。
この章のまとめ
ようどう館では、続けることを大切にしています。
水泳は、一日で身につくものではありません。
上達も一直線ではありません。
できない時間を過ごし、繰り返し練習し、ある時できるようになる。
だから、続ける時間が必要です。
しかし、
何があっても続けることが正しい
とは考えていません。
本当にきつければ休む。
目標を失えば、続け方を変える。
別のことに興味を持てば、新しい道へ進むこともある。
環境に問題があれば、
「逃げるべき時は逃げるべき。」
です。
努力しても、必ず思い通りの結果が出るわけではありません。
それでも、
「極めなくとも、その過程で得るものがたくさんあるはずです。」
子供の頃には、続ける価値が分からないこともあります。
現館長自身、
「長く水泳を続けてきて良かったと思います。子供の頃は止めたくてしょうがなかった私がこのように思うようになるなんて。。。」
と書いています。
50歳から水泳を始め、一度達成できなかったトライアスロンへ6年後に再挑戦した友人もいます。
現館長自身も、9年ぶりにマスターズ大会へ戻り、再び記録を狙いました。
人と水泳との付き合い方は、ずっと同じではありません。
だから、ようどう館が考える「続けること」は、
続ける。
頑張る。
休む。
続け方を変える。
時には退く。
そして、また始める。
という、もっと幅のあるものです。
続けることの価値は、続けている最中には分からないこともあります。
何年も経ってから、
「あの時、やっていてよかった」
と思う日が来るかもしれません。
そして、たとえ途中で別の道へ進んだとしても、そこで頑張った時間までなくなるわけではありません。
泳いだ距離だけではなく、その過程で得たものもまた、その子の中に残っていく。
それが、ようどう館が考える「続けることの意味」です。
