第8章 自立・自律と子どもの成長

― 子ども自身の力を育てる ―

―「してあげる」ことと「見守る」こと―

子供のために、何かをしてあげたい。

親であれば、ごく自然な気持ちです。

困っていれば助けたい。

失敗しそうなら先回りして教えたい。

忘れ物をすれば届けてあげたい。

できないことがあれば代わりにやってあげたい。

しかし、子供が成長していくためには、いつか自分でやらなければならないこともあります。

ようどう館では、水泳を教えながら、そんな場面にたびたび出会います。

自分で着替える。

自分の荷物を持つ。

タオルで身体を拭く。

先生に自分から話す。

忘れ物をした時に、どうするか考える。

失敗した時に、次にどうするか考える。

大人が手を出せば、簡単に済むことばかりです。

しかし、

「してあげない」ことも、時には子供のためになる。

自立とは何か。

自律とは何か。

そして、大人はどこまで手を出し、どこから見守ればよいのか。

ようどう館でも、長年考え続けてきたテーマです。


1.「自立」と「自律」は違う

第281号のタイトルは、

「自立と自律」

です。

同じ「じりつ」ですが、意味は少し違います。

自立は、自分のことを自分でできるようになること。

一方の自律は、自分で考え、自分を律しながら行動することです。

例えば、

自分で着替える。

自分の荷物を持つ。

自分で身体を拭く。

こうしたことは「自立」に近いでしょう。

一方、

今は遊ぶ時間なのか、練習する時間なのか。

危険なことをしてはいけない。

人の話を聞く。

自分が何をするべきなのかを考える。

こうしたことは「自律」に関わります。

どちらも、ある日突然できるようになるものではありません。

子供は、大人にしてもらうところから始まり、少しずつ自分でできることを増やしていきます。


2.「過保護」と「過干渉」を考える

第281号「自立と自律」は、「過保護」と「過干渉」について考えるところから始まっています。

子供を守ることは必要です。

特に幼い子供には、大人の助けが欠かせません。

しかし、

子供が自分でできることまで、大人がすべてやってしまったらどうなるのか。

また、

子供自身が考える前に、大人がすべて決めてしまったらどうなるのか。

善意からしていることであっても、結果として子供が自分で経験する機会を減らしてしまうことがあります。

ただし、「手を貸さないほどよい」という単純な話でもありません。

年齢も違います。

発達の程度も違います。

その日の体調も違います。

できることも子供によって違います。

必要な助けまで取り上げてしまえば、それは自立を促すことにはなりません。

大切なのは、

今、この子が自分でできることは何だろう。

と考えることです。


3.「守・破・離」で考える子供の成長

第322号「守・破・離」では、武道や芸道などで使われる「守破離」という考え方を、子育てに重ねています。

守。

まず、教えられたことを守る。

子供は最初から、何が正しく、何が危険なのかをすべて知っているわけではありません。

だから大人が教えます。

道路へ飛び出してはいけない。

人を傷つけてはいけない。

プールサイドを走ってはいけない。

人の話を聞く。

挨拶をする。

最初は、大人から教えられたことを守るところから始まります。

次が、

破。

教えられたことを土台に、自分で考える段階です。

そして、

離。

最終的には、自分自身の考えを持ち、自分で判断して生きていく。

第322号「守・破・離」では、こうした流れを子供の精神的な成長に重ねて考えています。

ただし、

「何歳になったら守から破へ」

「何歳になったら離」

と機械的に区切れるものではありません。

子供によって違いますし、同じ子供でも内容によって違います。

大切なのは、

最初から全部本人任せにするのでもなく、いつまでも全部大人が決めるのでもない。

ということです。


4.大人が決める時期もある

自立・自律という言葉を強調しすぎると、

「子供のことは、何でも子供自身に決めさせるべきだ」

という話になりがちです。

しかし、現館長自身の経験は、それほど単純ではありません。

第338号「導く」では、自分自身の水泳人生について振り返っています。

現館長は、中学生の頃、水泳をやめたいと思った時期がありました。

しかし父親から、少なくとも中学生の間は続けるように言われ、水泳を続けました。

当時の本人にとって、それは自分で選んだ道ではなかったかもしれません。

しかし、高校、大学へ進むにつれて、水泳を続けることは次第に自分自身の選択になっていきました。

そして大人になった今も水泳を続けています。

後から振り返れば、

あの時、大人がある方向へ導いたことにも意味があった。

そう考えることがあります。

子供は、まだ経験が少ない。

そのため、すべての選択肢の先に何があるのかを判断できるとは限りません。

だから時には、大人が方向を示す必要があります。


5.しかし、いつまでも大人が決めるわけにはいかない

一方で、いつまでも親がすべてを決めることもできません。

小さな頃には、

「今日は水泳の日だから行くよ」

でよかったものが、年齢が上がれば本人の意思が大きくなります。

水泳を続けたい。

別のスポーツをやってみたい。

勉強に力を入れたい。

他に興味があることができた。

成長とともに、本人が考える範囲は広がります。

「守・破・離」でいえば、

守らせるだけの段階から、自分で考えさせる段階へ移っていく。

大人の役割も変わります。

命令する。

教える。

相談に乗る。

見守る。

必要な時だけ助ける。

子供の成長に合わせて、大人の立ち位置も変わらなければなりません。


6.「自分の荷物は自分で持て!」

第370号「最後の砦」には、もっと身近な自立の話が登場します。

練習が終わった後、自分で身体を拭く。

自分で髪を拭く。

自分で着替える。

自分の荷物を持つ。

どれも、大人がやった方が早いことばかりです。

特に時間がない時には、

「もう、こっちでやった方が早い!」

となります(笑)。

しかし、大人が毎回やってしまえば、子供が自分でする機会は減ります。

そこで出てくるのが、

「自分の荷物は自分で持て!」

です。

これは、重すぎる荷物を何が何でも子供に持たせるという意味ではありません。

その子ができることなら、自分でやってみる。

できるのに、いつも大人が代わりにしてしまわない。

「してあげない」ことも、時には子供の成長を助ける。

という考えです。


7.「してあげない」と「放っておく」は違う

ここは非常に重要です。

子供の自立を促すために、

「自分でやりなさい」

と言って、何も助けない。

それがいつでも正しいわけではありません。

できない理由があります。

まだ年齢的に難しい。

やり方が分からない。

身体的に難しい。

体調が悪い。

不安が強い。

何らかの配慮が必要である。

そういう時には助けが必要です。

「してあげない」というのは、

できることまで先回りして奪わない

という意味です。

困っていても助けないことではありません。

自立を促すことと、放置することは違います。

子供が一人でできるところは見守る。

難しいところは手伝う。

できるようになったら、少しずつ手を離す。

その加減を考えるのが大人の役割です。


8.忘れ物をした子は、どうするのか

第497号「忘れ物」には、子供の自立を考えるうえで、とても分かりやすい出来事が登場します。

水泳に来たのに、水着を忘れた。

大人なら、

「貸してください」

と言えば済む話かもしれません。

しかし、幼い子供にとっては、それだけでも大きな出来事です。

どうしよう。

先生に言わなければならない。

でも、言いづらい。

怒られるかもしれない。

恥ずかしい。

そんな気持ちがあるのでしょう。

ある園児は、水着を忘れたことを先生に伝え、貸してもらうまでに苦労しました。

しかし、自分で先生に伝え、水着を借りて練習することができました。

そして後日、借りた水着を返し、お礼も言いました。

大人が最初から全部代わりに話してしまえば、数十秒で済んだかもしれません。

しかし、その子は、

困った時に人へお願いする。
借りたものを返す。
お礼を言う。

という経験をしました。


9.自立とは「何でも一人ですること」ではない

忘れ物の話から分かることがあります。

自立というと、

「人に頼らず、何でも自分一人ですること」

のように思われがちです。

しかし、それではありません。

自分だけでは解決できない時、

「助けてください」

と言えることも大切です。

水泳でも同じです。

きつい。

痛い。

怖い。

分からない。

そんな時、先生に伝える。

第336号「休憩の存在感」や第484号「3本目は元気な人だけ」で見てきたように、必要なら休むこともできます。

自分の状態を理解して、それを他人へ伝える。

必要な助けを求める。

これもまた、自立・自律の一つの形です。

自立とは、孤立することではありません。


10.失敗する前に、全部取り除くべきなのか

子供に失敗させたくない。

これも大人として自然な気持ちです。

しかし、失敗をすべて先回りして取り除けば、子供が自分で考える機会も減ります。

第489号「心の抵抗力」では、子供が失敗することについて考えています。

忘れ物をした。

うまくできなかった。

テスト会に落ちた。

自分で選んだことが思い通りにならなかった。

そうした経験から学ぶことがあります。

ただし、

「失敗は勉強だから、何でも失敗させればよい」

という話ではありません。

大きな危険につながる失敗。

取り返しのつかない失敗。

本人にはどうしようもない不公平な状況。

そうしたものまで経験させる必要はありません。

大人が守らなければならない部分は守る。

そのうえで、

やり直すことのできる失敗は、子供自身に経験させてみる。

そのくらいの考え方です。


11.少し危ないことを、全部なくしてよいのか

第550号「危険な遊び」でも、似た問題を取り上げています。

子供が遊べば、転ぶことがあります。

ぶつかることがあります。

失敗することがあります。

だからといって、危険の可能性が少しでもあるものを全部なくしてしまえば、子供が身体を使い、自分で判断する経験も減ってしまいます。

もちろん、重大な事故につながる危険を放置するという意味ではありません。

プールで人の頭を水中へ押し込むような行動は、すぐに止めます。

プールサイドを走れば注意します。

安全管理は大前提です。

その一方で、

安全を確保したうえで、少し挑戦する。

という経験も必要です。

「危険を全部なくす」ことと、「安全を守る」ことは、必ずしも同じではありません。

子供が自分で考え、身体を使う機会を残しながら、大人が重大な危険を管理する。

ここにも、大人の加減が必要です。


12.大人の判断は、いつも正しいとは限らない

第404号「今の時間を」には、現館長自身の子育てを振り返る話があります。

親は、子供のためを思って判断します。

「こちらの方がよい」

「こうしておいた方がよい」

そう考えて行動します。

しかし、後から考えると、

「あれで本当によかったのだろうか」

と思うこともあります。

第404号「今の時間を」では、

「では子育てに正解はあるのでしょうか?」

と問い掛けています。

おそらく、何年も経たなければ分からないことがあります。

それどころか、何年経っても正解が分からないこともあるでしょう。

子供に任せるべきだったのか。

もっと手を出すべきだったのか。

続けさせるべきだったのか。

やめさせるべきだったのか。

その時には最善と思った判断でも、後から見れば違って見えることがあります。

だからこそ、大人は、

「自分は子供のためにやっているのだから絶対に正しい」

と思い込まないことも大切です。


13.テスト会賞状偽造事件

自立・自律について考えるうえで、忘れられない出来事があります。

第521号「テスト会賞状偽造事件」です。

ある子供は、保護者と、

4級に合格したら水泳をやめてもよい

という約束をしていました。

しかし、テスト会で4級に合格できませんでした。

その子は、きょうだいの賞状を使い、自分が4級に合格したように見せるため、賞状を改変しました。

もちろん、賞状を偽造することは正しい行動ではありません。

そこはきちんと伝えなければなりません。

しかし、この出来事を、

「嘘をついた悪い子」

だけで終わらせてしまえば、大切な部分を見落とします。

なぜ、その子はそこまでして4級に合格したことにしたかったのでしょう。

そこには、

「4級になったらやめられる」

という約束がありました。

大人が設定した目標と、子供本人の気持ちは、本当に同じだったのでしょうか。


14.大人の「良かれ」と、子供の気持ち

親が、

「せっかくだから、ここまで頑張ろう」

と思う。

先生も、

「もう少し続ければ、もっと泳げるようになる」

と思う。

それは、子供のためを考えてのことでしょう。

しかし、子供自身は、

「もうやめたい」

と思っているかもしれません。

逆に、親はそろそろやめさせようと思っていても、本人は、

「もっと泳ぎたい」

と思っているかもしれません。

第521号「テスト会賞状偽造事件」の出来事は、

大人が決めた目標と、子供本人の気持ちが一致しているとは限らない。

ということを考えさせます。

だからといって、すべて子供の言う通りにすればよいわけでもありません。

第338号「導く」で見たように、子供の時には分からなくても、後から「続けさせてもらってよかった」と思うこともあります。

難しいところです。

だからこそ、必要なのは、

子供の言う通りにすることでも、大人が一方的に決めることでもなく、子供の気持ちを知ったうえで考えること

なのでしょう。


15.それでも、テスト会当日に賞状を渡す

第521号「テスト会賞状偽造事件」には、もう一つ重要な話があります。

賞状の偽造という出来事があれば、

「では、賞状の渡し方を変えよう」

という考えも出てきます。

しかし、ようどう館では、テスト会当日に賞状を渡す仕組みを残しました。

なぜなら、

合格したその日に、賞状をもらう子供の喜びを大切にしたかったからです。

賞状には、後から保護者に名前を書いてもらいます。

そうすれば、家庭で、

「何級に合格したの?」

「頑張ったね」

「次は何級?」

と、テスト会について話すきっかけにもなります。

一つの問題が起きたからといって、制度全体を子供にとって味気ないものへ変えてしまわない。

問題には対応する。

しかし、子供が喜ぶ部分はできるだけ残す。

これもまた、大人が何を管理し、何を残すかという判断です。


16.子供を育てながら、大人も育つ

第445号「演じる」では、大人について興味深いことを書いています。

大人だから、最初から理想的な親になれるわけではありません。

先生になったから、すぐ理想的な先生になれるわけでもありません。

最初は、

「親らしく振る舞う」
「先生らしく振る舞う」

ところから始まることがあります。

それを繰り返しているうちに、少しずつその役割が身についていく。

子供だけが成長しているのではありません。

子供と関わりながら、親も考えます。

先生も考えます。

失敗します。

反省します。

次は違う方法を試します。

第404号「今の時間を」の、

「では子育てに正解はあるのでしょうか?」

という問いにもつながります。

大人も、最初から答えを持っているわけではないのです。


17.子供と一緒にいられる時間には限りがある

第404号「今の時間を」や第474号「羨ましい」には、子供と過ごせる時間についての現館長自身の実感も書かれています。

幼い頃は、いつも一緒にいる。

どこへ行くにもついてくる。

親が何かをしてあげる場面もたくさんあります。

しかし、子供は成長します。

いつの間にか、自分でできるようになります。

友達との時間が増えます。

自分で行動するようになります。

それは喜ばしいことです。

一方で、

「してあげられる時間」にも限りがあります。

だから、

何でもしてあげることが愛情なのか。

何もしてあげないことが自立なのか。

そんな単純な二択ではありません。

してあげる時には、してあげる。

見守る時には、見守る。

手を離す時には、少しずつ離す。

そして、子供が本当に困った時には、また支える。

その繰り返しなのだと思います。


18.「優しさ」が子供の経験を奪うこともある

第574号「優しい虐待」では、子供のために先回りしすぎることについて考えています。

そこでは強い表現も取り上げられていますが、百科事典で大切にしたいのは、誰かの子育てにレッテルを貼ることではありません。

重要なのは、

大人の善意が、結果として子供自身が経験する機会を減らすことがある。

という問題です。

忘れ物をする前に、全部確認する。

転ぶ前に止める。

困る前に答えを教える。

失敗する前に親が交渉する。

大人がやれば、子供は困りません。

しかし、

困った。

考えた。

人に尋ねた。

失敗した。

やり直した。

できた。

という経験もなくなります。

優しさとは、何でも代わりにしてあげることだけではありません。

本人ができるまで待つことも、優しさの一つです。


19.自立・自律の最終目標

子供をいつまでも大人が守り続けることはできません。

いつかは自分で考え、自分で選び、自分で行動するようになります。

その時に、

何でも一人でできる人になってほしい。

ということではありません。

困った時には、人に助けを求めてよい。

分からなければ聞けばよい。

間違えたらやり直せばよい。

自分だけでは無理なら、人の力を借りればよい。

一方で、

自分でできることは自分でする。

自分で考えられることは考える。

自分の行動に少しずつ責任を持つ。

それが、自立・自律なのだと思います。

ようどう館でできることは、その練習のほんの一部分です。

自分で着替える。

自分の荷物を持つ。

先生に挨拶する。

忘れ物を自分で伝える。

休みたい時に伝える。

挑戦して失敗する。

そして、もう一度やってみる。

水泳を通して、そんな小さな経験を積み重ねてもらいたいと考えています。


この章のまとめ

自立・自律は、

「何でも子供一人でやらせること」

ではありません。

そして、

「何でも子供自身に決めさせること」

でもありません。

幼い時には、大人が教える必要があります。

危険から守る必要があります。

時には、本人にはまだ分からない先のことを考えて、大人が方向を示す必要もあります。

第322号「守・破・離」で考えたように、

まず教える。
少しずつ考えさせる。
やがて自分で判断する。

大人の役割も、子供の成長とともに変わります。

第370号「最後の砦」の、

「自分の荷物は自分で持て!」

は、その小さな一歩です。

第497号の忘れ物では、自分で先生にお願いする経験がありました。

第489号「心の抵抗力」や第550号「危険な遊び」では、安全を守りながら失敗や挑戦の機会を残すことを考えました。

そして第521号「テスト会賞状偽造事件」は、大人が設定した目標と子供本人の気持ちが同じとは限らないことを教えてくれます。

大人の判断が、いつも正しいとは限りません。

子供の判断だけに、すべてを任せられるわけでもありません。

だから難しいのです。

教える。
見守る。
待つ。
必要なら助ける。
そして、少しずつ手を離す。

自立とは、大人から切り離すことではありません。

自律とは、大人の言うことを聞かなくなることでもありません。

自分でできることを増やし、自分で考える範囲を広げ、それでも困った時には人に助けを求められるようになること。

水泳指導研究所ようどう館は、水泳という小さな社会の中で、その成長の一端にも関わっていきたいと考えています。