第6章 ようどう館は厳しい?

― 「厳しさ」の意味を考える ―

「ようどう館は厳しい」

そんな話を耳にしたことがある方もいるかもしれません。

確かに、ようどう館では子供を注意することがあります。

プールサイドを走れば注意します。

先生が説明している時に話を聞いていなければ注意します。

順番を守らなかったり、ふざけて危険なことをしたりすれば、強く注意することもあります。

一方で、泳げない子を、泳げないという理由で叱ることはありません。

むしろ、できなかったことが少しでもできるようになれば、大いに褒めます。

そして、練習が本当にきつければ休ませます。

つまり、ようどう館の指導は、

厳しいか、優しいか。

という二つだけでは説明できません。

何を褒めるのか。

何を注意するのか。

何を教えるのか。

いつ休ませるのか。

そこを区別して考えることが、ようどう館の「厳しさ」を理解するうえで大切です。


1.泳げないから練習している

ようどう館の「厳しさ」を考えるうえで、最も分かりやすい文章があります。

第282号「厳しいの基準」です。

「泳げないからと厳しくするようなことはまずありません。泳げないから練習をしているのです。」

この言葉は、ようどう館の指導を考えるうえで非常に重要です。

顔を水につけられない。

浮けない。

バタ足をしても進まない。

息継ぎができない。

25mまで届かない。

平泳ぎのキックがうまくできない。

だから練習に来ているのです。

できないこと自体を叱っても、泳げるようにはなりません。

指導者が考えなければならないのは、

「なぜできないのか」

そして、

「どうすればできるようになるのか」

です。

できないことは、教える。

できるようになれば、褒める。

ここが基本です。


2.では、何を注意するのか

泳げないことを叱らないのであれば、ようどう館では何を注意するのでしょうか。

第282号「厳しいの基準」では、泳力とは関係なく、その子ができることについては、きちんとするよう求めています。

挨拶をする。

返事をする。

先生の説明を聞く。

準備体操をする。

順番を守る。

練習と遊びを区別する。

こうしたことです。

泳げるかどうかには個人差があります。

しかし、話を聞こうとすることや、危険な行動をしないことは、水泳技術とは別の問題です。

特にプールは、一歩間違えば大きな事故につながる場所です。

プールサイドを走る。

人を押す。

水中でふざける。

他の子の練習を邪魔する。

こうした行動を「子供だから」と見過ごすわけにはいきません。

ようどう館で注意するのは、泳げないことではなく、安全や集団での練習に関わる行動なのです。


3.「できない」と「できることをやらない」は違う

第540号「ほめ殺せ」でも、現館長は、

「“できない”のと“できることをやらない”のは違う」

と書いています。

この区別は大切です。

初めて練習することができない。

怖くてなかなか一歩を踏み出せない。

身体の動かし方がまだ分からない。

そういう子には、できるようになるための指導が必要です。

一方、できることなのにふざけてやらない。

危険だと分かっていることをする。

説明を聞かず、周囲にも迷惑を掛ける。

そうした場合には注意することがあります。

ただし、外から見て「やらない」ように見えても、本当は怖い、意味が分かっていない、体調が悪い、緊張しているなど、さまざまな理由が考えられます。

だからこそ、決めつけるのではなく、その子の様子を見ることが必要です。

「できない」のか。

「やらない」のか。

それとも、何か別の理由があるのか。

それを見極めることも、指導者の仕事です。


4.先代館長の言葉――「ほめ殺せ」

ようどう館の指導を「厳しい」という一面だけから見ると、もう一つの大切な部分を見落としてしまいます。

それが、

「ほめ殺せ」

です。

第540号「ほめ殺せ」で、現館長は、これは先代館長が使っていた言葉だと紹介しています。

一般にいう「ほめ殺し」とは意味が違います。

ようどう館でいう「ほめ殺せ」は、

徹底的に褒めて、子供をその気にさせる。

という指導の考え方です。

子供が泳いで数メートル進む。

そして振り返る。

その表情には、

「先生、今のどうだった?」

という気持ちが表れています。

そんな時に、

「バッチリ!」

「カッコいい〜!」

と、すぐに声を掛ける。

テスト会に合格した時だけ褒めるのではありません。

昨日できなかったことが、今日少しできた。

怖くて離せなかったビート板から手を離せた。

バタ足で少し進んだ。

息継ぎが一回できた。

そうした練習中の小さな成功を、その場で認めることを大切にしています。


5.できたことは褒める。できないことは教える

第282号「厳しいの基準」と第540号「ほめ殺せ」を一緒に読むと、ようどう館の指導方針が非常に分かりやすくなります。

できたことは褒める。
できないことは教える。
危険な行動や、守るべきことを守らない場合には注意する。

この三つは、別々です。

泳げない子に、

「なんで泳げないんだ!」

と叱っても意味がありません。

逆に、危険な行動をしているのに、

「子供の自主性を大切にしよう」

と何も言わないのも違います。

そして、できたことを、

「できて当然」

と流してしまうのも、もったいない。

できた瞬間を見つけて褒める。

できなければ方法を考える。

いけないことは、いけないと伝える。

この使い分けが、ようどう館の指導の基本です。


6.「指導は心理学だ」

第561号「運動は罰ゲームではない」には、先代館長がよく口にしていたという、

「指導は心理学だ」

という言葉が登場します。

子供に何かをやらせたい時、叱って無理に動かすだけが方法ではありません。

練習そのものを、やりたくなるように工夫する方法もあります。

第561号「運動は罰ゲームではない」では、強化コースで行った練習が紹介されています。

ジャンケンをして、勝った子がバタフライで泳いで戻り、負けた子は歩いて戻る。

普通なら、「負けたら泳ぐ」としてしまいそうなところです。

しかし、逆です。

泳ぐことを罰ゲームにしない。

むしろ、

「勝ったから泳げる」

というご褒美にする。

すると、子供達にとって泳ぐことの意味が変わります。

これは、単なる遊びではありません。

子供がどうすれば自分から身体を動かしたくなるのかを考えた、練習の組み立て方です。

「ほめ殺せ」も同じです。

叱って動かすだけではなく、褒め方や練習方法を工夫して、

「もう一回やってみたい」

という気持ちを引き出す。

先代館長のいう「指導は心理学だ」という言葉には、そんな意味も含まれているのでしょう。


7.頑張ることと、休むこと

「ようどう館は厳しい」という話を考える時、もう一つ重要なのが休憩です。

第298号「頑張って、休憩して、また頑張る」では、現館長が子供達に伝えている考え方が紹介されています。

本当にきつい時には先生に言う。

休む。

そして、回復したらまた練習する。

つまり、

頑張ることと、休むことは反対ではありません。

休まず続けることだけが「頑張る」ではないのです。

これは、ようどう館が子供に努力を求めるからこそ、大切な考え方です。


8.「休んでもいい」と知っている安心感

第336号「休憩の存在感」では、この考えがさらに掘り下げられています。

25mを泳げるようになり、浅いコースから深いコースへ移った子供にとって、練習は急に難しく感じることがあります。

それまでより長く泳ぐ。

足をつかずに泳ぐ。

新しい泳ぎを覚える。

一方で、上のコースへ進んだことは本人にとって誇らしいことでもあります。

だから、きつくても頑張ろうとする子がいます。

そんな時、

「本当にきつかったら先生に言って休んでいい」

と知っているだけで、気持ちに余裕が生まれることがあります。

現館長は、

「休憩の存在によって、子供達に精神的なゆとりが生まれるのだろうと思っています。」

と書いています。

休憩は、頑張らないための仕組みではありません。

安心して頑張るために、休める場所を用意しておく。

そんな意味もあります。


9.「3本目は元気な人だけ」

第484号のタイトルは、

「3本目は元気な人だけ」

です。

例えば、50mを4本泳ぐ練習をしている時。

現館長は、

「きつか人は3本目を休んでよかけんね!」

と声を掛けます。

全員に同じ練習を与えても、その日の状態は同じではありません。

上のコースへ移ったばかりの子。

少し体調が落ちている子。

今日は非常に元気な子。

同じ子でも、日によって違います。

そして興味深いのは、指導者が「この子は休んだ方がよいだろう」と思っていても、本人が泳ぐことがあることです。

上のコースへ進んだばかりで嬉しい。

みんなと一緒に泳ぎたい。

そんな気持ちが身体を動かすこともあります。

ただし、休むかどうかをすべて子供だけに任せればよいわけではありません。

子供自身の「きつい」という感覚を尊重すると同時に、指導者も表情や泳ぎ、体調を見て、必要なら練習を止める。

本人の感覚と指導者の観察、その両方が必要です。


10.「きつい」「疲れた」をどう受け止めるか

第558号「『きつい』と『疲れた』」でも、子供が練習中に口にする言葉について考えています。

子供が「疲れた」と言った時、

単なる口癖なのか。

本当に負荷が大きいのか。

体調が悪いのか。

気持ちが折れそうなのか。

外から一言だけで判断することはできません。

だからこそ、「疲れたと言うな」で終わらせるのではなく、子供の状態を見る必要があります。

頑張れるところでは頑張る。

休む必要があれば休む。

体調が悪ければ練習を中止する。

この判断は、水の中で子供を預かる指導者にとって特に重要です。


11.子供の言い分を聞く

厳しく注意するからこそ、指導者が気をつけなければならないこともあります。

それは、

自分の思い込みだけで子供を決めつけないこと。

です。

第537号「子供の言い分」では、子供同士のトラブルについて書かれています。

一方の子の話だけを聞けば、その子が被害者に見える。

しかし、もう一方の話を聞くと、違う事情が見えてくることがあります。

普段おとなしい子が、いつも正しいとは限りません。

よく注意される子が、いつも悪いとも限りません。

子供には子供の言い分があります。

だから、一方だけの話や普段の印象で判断せず、できるだけ双方の話を聞く。

もちろん、人の頭を水中へ押さえつけるなど、明らかに危険な行動はその場で直ちに止めなければなりません。

安全を確保したうえで、

何が起きたのかを聞く。

これも指導の一部です。


12.指示を聞くことと、伝わるように話すこと

第524号「コミュニケーション能力」と第525号「指示が通らなくなってきた」を合わせて読むと、指導は一方通行ではないことが分かります。

ようどう館では、挨拶や返事、人前で話す経験なども大切にしています。

また、先生が説明している時には話を聞くことを求めます。

第525号「指示が通らなくなってきた」には、

「“できない”と“聞いていない”は全然違うのです。」

という趣旨の言葉があります。

一方で、指示が伝わらなかった時、指導者側にもできることがあります。

言い方を変える。

もう一度説明する。

実際に見本を見せる。

他の子の泳ぎを見てもらう。

短い言葉にする。

子供に「話を聞きなさい」と求めるだけではなく、

指導者も、どうすれば伝わるのかを考える。

これも、ようどう館が長年の指導の中で積み重ねてきたことです。


13.褒められているのも、叱られているのも見ている

第577号「見て育つ」では、もう一つ興味深い視点が語られています。

子供は、自分が直接褒められたり注意されたりした時だけ学ぶわけではありません。

周囲の子供がどう扱われているかも見ています。

大きな声で数を数えている子を褒める。

たくさん頑張った子に「デカ丸」をあげる。

一方で、

「走るな〜!」

「遊び時間と練習時間は違う!」

と注意する。

その言葉を聞いているのは、注意された本人だけではありません。

周りの子供達も、

「これは褒められることなんだ」

「これはやってはいけないことなんだ」

と見ています。

集団指導では、一人の子供への言葉が、全体へのメッセージになることがあります。

だからこそ、褒めることも、注意することも大切なのです。


14.約20年前にも「単純に」

第577号「見て育つ」では、約20年前のおたより第345号「単純に」が引用されています。

そこには、子供にとって分かりやすい指導者でありたいという考えが書かれています。

嬉しい時には喜ぶ。

いけない時には怒る。

悲しい時には悲しむ。

何をすれば褒められるのか。

何をすれば注意されるのか。

子供から見て分かりやすい大人でありたい。

第577号「見て育つ」で昔のおたよりを再び取り上げたことからも、この考えが一時的なものではなかったことが分かります。

ただし、感情をそのまま子供にぶつければよいという意味ではありません。

注意するのは、子供の人格を否定するためではなく、その行動について「それは違う」と伝えるためです。


15.叱るのは「人格」ではなく「行動」

第528号「感情をコントロール」や第536号「善悪の区別」、第566号「誰が怒ってくれるのか?」など、現館長は繰り返し、大人が子供に注意することの意味を考えてきました。

その中には、時代背景を反映した強い表現や、現在では科学的な因果関係として確認できない説明もあります。

百科事典で大切にしたいのは、そこではありません。

一貫しているのは、

大人が、子供の行動に対して必要なことを伝える役割まで手放してはいけない。

という考えです。

ただし、

「お前は駄目な子だ」

と人格を否定することと、

「今の行動は危ない」

「それはやってはいけない」

と行動を注意することは違います。

ようどう館が目指すべきなのは後者です。

子供そのものを否定するのではなく、直すべき行動を明確に伝える。

この区別は、厳しさを考えるうえで欠かせません。


16.一人の先生だけで叱らない

第490号「チーム チーチング」には、ようどう館ならではの指導の考え方があります。

基本的には担当コースがありますが、その子を見るのは担当の先生一人だけではありません。

その時間にいる指導者全員で子供達を見る。

ある先生が強く注意した時には、別の先生がその後をフォローすることもあります。

これは重要なことです。

一人の先生との関係だけで、

「先生に怒られた」

で終わらせない。

別の大人が声を掛ける。

子供の様子を見る。

必要なら話を聞く。

注意する役割と、支える役割を指導者全体で担う。

第490号で紹介される「チームチーチング」は、泳ぎを教える方法だけでなく、子供との関わり方にも表れています。


17.保護者と一緒に子供を見る

子供の様子を最もよく知っているのは、プールの先生だけではありません。

家庭での様子を知っている保護者の存在も重要です。

第336号「休憩の存在感」では、練習をきつく感じている子供について、

「プールに行く日は家にいる段階でお腹が痛くなったりしていませんか? 本館に連絡していただければ対応します」

という趣旨の呼び掛けもしています。

プールでは頑張っているように見えても、家では強い負担を感じているかもしれません。

逆に、本人は楽しんでいるのに、保護者から見ると大変そうに見えることもあるでしょう。

だから、

プールでの様子と家庭での様子を合わせて見る。

これは、子供を支えるうえで大切なことです。

ようどう館だけで子供を育てるわけではありません。

家庭と指導者が情報を共有しながら、その子にとって何が必要なのかを考えることが大切です。


18.「厳しい」かどうかは、言葉だけでは分からない

ようどう館は、昔から「厳しい」と言われることがあります。

確かに、注意する時には注意します。

危険なことをすれば叱ります。

できることをふざけてやらなければ、声を掛けます。

しかし同時に、

できた瞬間には褒めます。

できなければ教えます。

怖ければ段階を戻します。

きつければ休憩させます。

子供の言い分も聞きます。

保護者からの情報も参考にします。

そして、一人の先生だけではなく、指導者全体で子供を見ます。

ですから、

「厳しい」か「優しい」かという一つの物差しだけでは、ようどう館の指導は説明できません。

重要なのは、

その子が泳げるようになり、安全に練習し、その過程で成長するために、今どのような関わりが必要なのか。

ということです。


19.厳しさの中身を分けて考える

ようどう館の「厳しさ」を整理すると、いくつかの異なるものが一緒に語られていることが分かります。

泳ぎについては、できないことを叱らない。

努力については、できる範囲で頑張ることを求める。

安全については、危険な行動を許さない。

集団生活については、挨拶・返事・順番・話を聞くことを教える。

上達については、小さな成功を見つけて褒める。

体調については、必要なら休ませる。

トラブルについては、一方だけで決めつけず事情を聞く。

これらを全部まとめて「厳しい」と呼んでしまうと、ようどう館が何を大切にしているのかが見えにくくなります。

厳しくすること自体が目的ではありません。

子供を怖がらせることが目的でもありません。

泳げるようになるため。
安全に練習するため。
そして、人と一緒に学ぶため。

そのために必要なことを伝える。

それが、ようどう館が考える「厳しさ」です。


この章のまとめ

ようどう館では、子供を注意することがあります。

そのため、「厳しい」という印象を持たれることもあります。

しかし、第282号「厳しいの基準」には、ようどう館の基本姿勢がはっきり書かれています。

「泳げないからと厳しくするようなことはまずありません。泳げないから練習をしているのです。」

そして、先代館長から受け継がれてきたもう一つの言葉があります。

「ほめ殺せ」

できたことは、その場で大いに褒める。

できないことは、できるように教える。

危険なことや、守るべきことを守らない場合には注意する。

そして、本当にきつい時には休む。

この違いを整理すると、ようどう館の指導は、

できたことは褒める。
できないことは教える。
危険な行動には注意する。
必要な時には休ませる。

という形で表すことができます。

さらに、子供の言い分を聞く。

指導者側も伝え方を工夫する。

一人の先生だけでなく、チームで見る。

家庭とも情報を共有する。

そうした関わりまで含めて、子供を指導しています。

ようどう館が求めているのは、「厳しい先生」になることではありません。

子供が安全に練習し、泳げるようになり、その過程で何かを身につけていくために、

褒める時には褒める。
教える時には教える。
注意すべき時には注意する。
支える時には支える。

その使い分けができる指導者であること。

それが、ようどう館の考える「厳しさ」の中身です。