「水泳大会」への意見・感想(原文)


私たちの時代はものすごく盛り上がり、たいへんな行事だったように思いますが、今の子供は(学校は)全員同じという感じがします。運動会もそう思います。おもしろくありません。

今年度は水泳大会に限らず、春に行われた運動会も競争ではなく「地域参加」「縦割りグループによる連帯」の種目が多かった。子供には個性があって当然で得意、不得意もあって当たり前、各々が自分の力を存分に発揮できる喜びの場をなくしてしまうのは本当に残念。『苦手でイヤだった』という思い出もあとになって振り返ると笑みのこぼれるような話…いろいろな経験を我が子にはさせたい。

私たちの時代は、かなづちだからといっていじめたり、いじめにあったりなんかはなかった。むしろ、みんなで泳げるようになるという仲間意識が良い意味で芽生えた。今の教育は、悪いところ(事)があった場合、その理由を探る前に、その芽を摘んでしまうという風潮があり共感できない。努力の差で、優劣が生じるのは当然の事と思う。

競争はないといっても、先生の声でスタートするので、見てれば順番はわかりますが、1位 ○○、2位○○とか名前をいわれることはありませんでした。

一年生の水泳大会で、学年で2位になったことが「ようどう館」に通うきっかけになりました。「出来ない子が、かわいそう。」と言う理由でしたら、運動会もテストもなくなればいいと思います。

週休二日にむけて授業行事の厳選が行われているからでしょうか。うちの小学校は水泳大会はまだ元気ですが、春の運動会がなくなりました。体育の授業である水泳の発表する場がなくなることは、努力をして速くなろうとがんばっている子にとって辛い所があります。

脱競争の動きだとは思わない。単に教員のさぼり。運動会にしても手ぬきが多く、子供とのふれあいがかけている。

水泳大会はなかった。運動会が例年より早くなったからではないでしょうか?

泳げる泳げないは関係なしに水泳大会は開催された方が良いと思います。

兄たちの時は1年生でも5mロケットで泳がせていました。皆がんばって目標のところまで泳げていたように思います。”がんばる心”は目標、めざす人がいて大きくふくれるものだと思います。今の横並びの教育はどうか…と思います。

私たち親の代(30年くらい前)のように、泳げるだけ泳いでみるのも最高にがんばれるし、自分は0m(小3)だったのを、何m泳げるかと、とてもワクワクした思い出があるので、いいと思うが、スイミングにいってる人が多く、25m泳げる人が大部分(3年)に見えるくらいだったのでそれも無理だろうな、と感じました。泳げて当然の時代なのですね。

最近は競争心もなく、みんなが一緒というのには反対ですね。大会なのだから、一番がいて2番がいるのがあたりまえ。

100メートルクロールは3名しか泳げる生徒がいなくて3名共ようどう館に通っている生徒でした。ありがとうございました。

クラスより2人、3クラスで6人が一つのグループになって25mを順番に全員泳ぎました。クロールで泳ぎきる子もいれば、バタ足で何度も途中で立って息つぎしながら泳ぐ子もいるといった感じでした。低学年のうちは習っている子とそうでない子の差は大きいですが、5,6年になると全員だいたい最低25mは泳げるようになります。我が子も教えていただいているおかげで6人の中では1番はやくゴ-ルインしました。順位はつきませんが、本人の自信になったと思います。私はこのやり方でいいと思っています。

両学年とも、全体の競争はなかったけど、個人個人の目標に合わせ頑張っていた。3年生は100メートル以上泳げる人による模範泳ぎ、5年生は、タイムの上位 による決勝と、上手な子供達が活躍できる場もはかられていた。息子達も先生方のおかげで誇らしく泳いでいました。感謝!!

年中の頃より、先生方のりっぱなご指導、そして本人の努力により、びっくりする位上達しております。夏場しかない学校の水泳授業。泳げない子供の気持ちも大切ですが、泳げる子供のことも評価してもらえれば、もっと自信がついてくるのではないかなと思います。

水泳が好きな子供は、水泳の授業も大好きで、水泳大会も楽しみにしているようです。学校では、水泳は夏季しかできないし、限られた期間にどのくらい上達したか個々に知ることも出来るし、個々にはげますこともできるので、水泳大会はこれからもあってほしいと思います。

父兄としては、ゲーム等の関心はなく、やはり子供達の泳ぎの上達ぶりを年に1度観に来ています。得意、不得意の科目がある様に個人差は、あって当然だと思います。でも水泳は、大切な科目だと思っています。夏休みに15m泳げない子のための補修がありました。とてもすばらしい事だと思っています。水泳大会は子供達にとっても1つの目標だと思うし、廃止しないでほしいものです。 P.S.泳ぎの出来ない親程、参観は少ないと痛感しました。

昨年、雄樹先生の書かれたようどう館だよりの”水泳大会のあり方”の内容に、主人ともども大賛成です。そのようになるよう学校担任にも話したことがあるのですが…

水泳大会で2位になり、とても嬉しそうに帰宅した姿は、自信がみなぎっていました。

いつもようどう館だより読ませていただいております。なるほどとうなずくことが多いです。脱競争は学校の中でも言えることです。ほとんどの学校で成績の順位を公表しない傾向になりつつあります。これがひいては、下位の子や上位の子の落ちこぼしをつくり、今のゆがんだ社会につながってきているのでは?と思えてなりません。がんばろうとか人に負けまい、追いつきたいという根性、忍耐をしぼませているように思います。そして、自分がだめになったりするのを大人や社会のせいにしてしまう… 人に負けまい、人に追いつこうという気持ち、がんばったことが報われる社会になってほしいと思います。ようどう館に通うようになって、うちの子はたくましくなりました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

いつもご指導ありがとうございます。ようどう館に通っているおかげでクラスの代表リレーに出場していました。母親の私もとても嬉しかったです。

オリンピックを見て「水泳って速く泳いだ人の勝ちなんだ」と子供に言われ、ビックリしてしまいました。お友達同志で、意識しあい、きそいあい、達成した時の喜び、感動を体験させてあげたいです。

高学年になればなるほど泳げる子と泳げない子(スイミングに行っているかいないか)の差が大きくなっていくと思う。それが気になる。泳げる子にとってはものたりなく、泳げない子にとっては苦痛なのではないか?

何にしても得意、不得意があるのはあたりまえ。他人の前で一生懸命がんばることが大切だと思います。水泳大会は是非続けていってほしいと思います。

内容を検討しながら、開催されれば良いと思います。

低学年はゲームなど中心になることが多いと思うが、高学年は競争があってもいいと思うし、1時間だけでは短かすぎると思う。

今年初めて水泳大会がなかったのですが、さびしい気がしました。せめて学年単位であってほしいと思います。

泳げる子も泳げない子も楽しめた。

まだ一年生なので競争はなかったと思います。中・高学年になると競争があるのでは…?

行われていいと思います。体育大会はありますし、得意・不得意は個人差ですし。がんばっている姿(苦手でも個人的にはタイムが)上昇する姿には感激しましたので、開催してほしいものです。(水泳を得意・不得意とする子供も持つ母親より)

せっかく子供たちが頑張って練習しているのに、その成果を発表できる場がなくて、とても残念です。そういう時代だから仕方ないとあきらめていました。

勉強はともかく、水泳は得意!!という子もいると思うので、活躍する場がないのはかわいそうだと思います。学校の方針として、競泳よりも遠泳、いざという時に自分の身を守れるための水泳指導と聞きました。その考えはとても良いと思うのですが、3年生になって、水に入れない、顔をつけられない子がいたのには驚きました。競争でなくても、学年毎の最低レベル目標までは指導してほしいと思います。

PTAなどで発言される方たちが上記のような発言をされるとすると、私たち、ようどう館にお世話になっている父兄が競争させましょうと言いますと、その差は歴然としておりますので、言えるような雰囲気でないことはたしかです。

100mクロールを泳いだのですが、スイミングスクールに通っているから、できて当り前という考えが父兄の中にはあります。うちの子は、スクールに通ってなくても50mも泳げるのよと。水泳大会で目立つ為にスクールに通わせているわけではないのに。今の教育は、できない子が可哀そうだから、順例をつくらないようにしてあります。運動会でも、勉強でも全てのことに。それもちょっとおかしいと思いますが…。

私達の小学生の頃は、水泳大会が大きく開催されていたので、今、ほとんどないのが残念な気がします。

スポーツができる子、勉強ができる子といろいろな子供がいる。スポーツのできる子の活やくの場も必要である。子供同志の間では、あの子は水泳が上手と認め合うと思う。親は口出しすぎる世の中になったと思う。

50メートルクロールに挑戦し、順位はビリでしたが、フォーム(息つぎなど)がきれいになっていました。水泳大会があるから、うまくなろうと努力する子もいると思う。

いろんな方面で、子ども達が得意分野を発表できる場がある方が良いと思う。勉強が好きな子はテストで、足の速い子は運動会で、水泳の得意な子は水泳大会で…。それが子ども達の自信につながると思います。

水泳大会、運動会等すべての面で競争するということが少なくなってきている様です。学校側の考えもわかりますが、子供たちの”がんばる”という気持ちもなくなってきている様に思われます。

もし泳げない子のために水泳大会が廃止されているとしたら、それは大きなまちがいだと思います。努力した子はそれを発表し、認めてもらうことで次への励みになると思うし、泳げない子もそれなりに努力する気になるのではないでしょうか。「かわいそう」では、成長しません。

あってほしい

上の子供(2年前)までは、全員でリレー競争があってとても楽しかったですが…。運動会で、全員リレーがあるように、水泳でもあってほしいですね。

大会があることで目標ができるし、頑張ることもできる。全員が目標を持つことでクラスが盛りあがる。子供同志で教え合うことで又楽しくなるなど私は大会はやった方がいいと思う。大人が”かわいそうだから”と言う前に ”たのしいよ”を教えるべきだ。

絶対するべきだと思います。「泳げない子がかわいそうだから」という理由なら、運動会も中止すべきだと思います。得意な分野をみんなにひろうできるのは良いことだと思います。競争することの大切さを知った方がいいと思います。

プールの中を歩いてでも目的の所まで行くというのが目標であり、水泳大会といえるものではなく、泳げる子供にとってはものたりなかったかも知れないと思った。

できれば全校で開催してほしい。

私達が子供の頃の水泳大会とはずい分内容的にちがっていることに驚いています。そして、水泳大会が ”泳げない子がかわいそう”という理由で廃止されるということがあるのなら、それは残念に思います。”かわいそう”の意味がちがうのではないでしょうか。

以前ようどう館だよりにも書かれていましたが、私も先生と同じ意見を持っています。個性を伸ばすと言いながら、その場を取り去ろうとしている様です。親や大人が思う程子供達はできない事がはずかしいと感じていない様に思います。体育大会、水泳大会、他の催し物でも得意な子供がリーダーシップをとり皆で楽しんで欲しいと強く思います。水泳大会を見に行っても張り合いがなく、子供達も盛り上がらずシラーとした雰囲気の中で進行されている気がします。先生方は大事にしすぎてかえって子供達のやる気と「すごーい」と尊敬する気持ちを薄れさせている気がしてなりません。4、5年前はリレーがあっていましたのでその頃は父兄もたくさん応援に見えていたのですが今は14~15人位 でしょうか。中学校は大会はあっていませんが、体育大会のクラス対抗リレーは全員が走り競い合います。人数合わせの為2回走る子供もいます。各クラス作戦をたて不得意な子をどの辺に走らせるかとどこで離してやろうかと楽しそうです。水泳大会もその様に考えてリレー等して欲しいと思います。自分の子供が苦手でもワイワイやっている所を見て子供の成長を喜びたいと私は思います。ずいぶん長くなりましたが、ここ数年考えていた事でしたのですっかり書いてしまいました。

競争といっても、泳げなくても15mか25m自分のいい方に何度足をついてもいいし、リレーはゲームのようなものです。昔はクラス対抗リレーで盛り上がったものですが、今は遊びのようなもので残念です。

走ることが苦手な子供もいるように泳ぎの苦手な子もいて当然だと思うので、やり方を考えればできるのではないかなと思います。子供にとっては”できなくてくやしい”と思う気持ちを感じる事も大切だと思います。

運動会はリレー選手が全校の前で表彰されるのに、水泳はそういう場がないので、少しかたよっている気がします。子供がどの位泳げる様になったのかわかるので、水泳大会は開催してほしい。

今回見に行っていませんが、私たちの時代のように1位 、2位などなかったようですが、私は泳げる子にがんばれる場をあたえて、1位2位は順位をつけてやったほうがよいと思います。

昨年は学年の中で一番泳ぐことができませんでした。でも「来年は一人で泳ぎたい」と言う気持ちで頑張ってくれました。こんな子供もいるのだから、競争でなくても機会を作って欲しいと思います。

水泳が得意な子供にとっては自分をアピールできる場であるし(他の子供は又別 のことでアピールできる)スイミングに行ってなくても50mに挑戦している子供を見るのは、子供の”やってみよう”という気持ちが伝わり心から応援したくなる。全く泳げない子供にとっては苦痛であるという点は先生方のやり方が左右されると思います。

この子は、ならっているので、大会をやってほしいと思いますが、上の子(5年)はならってないので、うまく泳げないのでやってほしくないですネ…勝手です!!だからやっぱりやってほしくないです。その分、館にお願いしたいです。

小学校での水泳大会については、この程度でいいと思います。子供もみんなや父兄の前で自信をもって泳げてます。陸上記録会のように、佐賀市内の小学校からの代表で水泳大会があればなあと思います。

競争するということはとても大事なことだと思います。勝つことだけがいいという考えではなく、競争するということで学ぶことはたくさんあると私自身が体験してきたからです。

大会終了後に、各自に、A4の半分位の大きさの賞状がもらえる。これには、がんばり賞のようなかんじで、自分の記録が書いてある。

上のお兄ちゃんが1年生の時は、その学年だけで、水泳参観のようなかたちであったと思いますが、ここ数年は全く話を聞きません。

私個人としましては”脱競争”という考えには賛成しかねます。”皆が手をつないで一緒にゴール”ではなく”皆が手を引っぱって強くなる”ことがBESTだと思います。私のところの水泳大会では、リレーの際、25M泳げない子供の手を2人で引っぱって泳ぐ姿と、それを声の限り応援する子供達。涙が出る思いでした。泳げる子供は、もっと前に、と思い、泳げない子供は、少しでも前にと思う。そういう競い合いであってほしいと思いました。

開催時期を早めた方が、盛り上がるのでは…。気温も下がり、もちろん水温も下がっているせいか、子どもたちの活気が感じられなかった。寒そうにちぢこまってる子どもが多数で…

うちの子の場合、去年の水泳大会で、女の子より泳げなかったのが、すごくショックだったみたいで、自分から習いたいと言いました。水泳大会がなかったら、今も泳げないかもしれません。水泳は、泳げないと、命にかかわる事もあるかもしれないので、大切だと思います。

タイムをはかり、順位を決める方がよいと思う。

競争してないからしたいです。(子供の意見)

親としては、それぞれに得手、不得手のあるように、水泳の中でも、上手、下手はあって、それぞれにほめたり、はげましたりして良いと思う…が、今の学校の在り方を見ると、それは、さけている様に思うところがある。(運動会にしても、授業参観にしても全てにおいて)

ようどう館にいく前は、泳ぎ方がわるく、ながい距離を泳ぐことが出来なかったので本人もあまり楽しみではなかったけど、今はすごく楽しみです。絶対あった方がいいですね。

私たち(親)の頃は毎日水泳の時間があったのですが、今の子供たちは週に2,3回しかなく、競争心もわいてこないのじゃないかと思います。親としては競争心がわくように順番があった方が楽しいと思います。

水泳大会は、本人にとって、競争心ができていいと思います。私達の子供の頃とは違い、脱競争の水泳大会になってきている事は感じていました。

ようどう館のプールで慣れているせいか、学校のプールは少し泳ぎにくい気がした(子供の意見)。

低学年ということもあり、ゲームをとり入れた形で水に慣れ楽しく行っていたように思います。泳げる子には、1着、2着という形はとられなくても(あとで発表というようなことはなくても)まわりのお友達や保護者の方から、「きれいに泳げるようになったね」とか「はやくなったね」と声をかけてもらって本人は満足だったようです。

水泳大会は運動会のように多くはありませんが、競技がいくつかあって楽しかったです。

1,2年生は泳げなくて当たり前と言うことで小プールにて、ゲームです。正直、泳げる子もいるということで大プールで泳がせてくださってもいいのでは…と思ってます。

1年生のほとんどの子供が泳ぐことができていましたよ!

時間がもっと長いと良い。

水泳大会は、いつまでも続けてほしい。スポーツを通じて子供たちにEQをやしなってほしい。仲間意識も高めてほしい。

水泳大会は、なくしてほしくない。他のことはだめでも、水泳なら自信のある子どももいることだろうし、毎年の進歩が明確な大会でもある。水泳大会のないところがあると知ってがっかりした。

水泳を得意とする子供もいるので、今まで通り、行われた方が良いと思います。

ビート板の子が多かったようです。ウチの子もまだまだ下手ですが、スイミングに通ったおかげで、2位!といっても目測で、泳ぎ終わっても誰もほめてくれず、ようどう館の拍手に慣れていたせいか、ちょっとがっかりでした。

他のスポーツは苦手でも水泳は得意という子もいますので、あれば自信につながると思います。

昨年は背泳ぎやバタフライなどがありましたが、今年は平泳ぎとクロールだけだったので、少しさみしい気がしました。

何でもいいから人より上手な子供は何らかのアピールの場をあたえてやり、自信をつけさせてよいと思うし、ほめてやれる人間になってもらいたいから競技会という形式は私は決して悪いこととは思えません。

競争があってもいいのではと思いました。

いつ頃から、こういう内容の水泳大会になったのか、少し不思議に思いました。もっと競争させて、頑張る事を教えても良いのでは…と思います。

水泳大会の実施には賛成です。勝ち負けを含め、様々な体験を踏ませることは、子どもの成長において大切なことと考えます。

私およぐのおそいから、→あってもなくてもイヤー!!
水泳すきなんだー   →あってもなくてもイヤー!!(子供の意見)

見学には行かなかったのであまりわからないが、泳げても泳げなくてもあまり関係のない水泳大会らしい。少し子供にも競争心を(負けん気)つける様な事をきたいしていたが、がっかりして、見学しなかった。せっかくスイミングをがんばっているのに、これでは子供もやる気がでないのではないかと心配になる。

競争することは、スポーツ、学習、どんな場合にも必要なことであると思います。今のやり方では子供たちをますますだめにしてしまうと思います。(水泳大会にかぎらず)競争は、他人に勝つためではなく、自分自身に勝つためにあると思う。

クラス対抗でがんばれるので開催されてもいいと思います。自分の実力をためすうえでもいい機会だと思います。

ある程度の年齢になると、得手、不得手を理解し受け入れられるという事も大切だと思います。みんな一緒にお手々つないでいつまでもいられる訳でもありません。オリンピックでおぼれそうになりながらも50mを泳ぎきった黒人とそれを受け入れた人達のように、子供達には前向きでいてほしいと思います。競争が悪いワケではなく受け取り方だと思います。競争はお互いを高めあう面もありますから。

運動会では順番を競い合って1等から3等の子にはシールが配られます。うちみたいに足の遅い子はそのシールをもらった事は無く、水泳大会位でしか活やくできる場がありません。その水泳大会で競争ではなく完泳賞が全員に配られます。少し残念ですネ。うちの小学校では5年くらい前から競争ではなくなりました。

絵画、習字、作文等の優秀な作品は張りだされたり表彰されるのに、水泳大会等は「見せる」だけ。これしか活躍することのできない子は、ちょっと淋しい…かも。

強化コース以外でも参加できるような水泳大会はないのですか?2年位前に、9月頃ようどう館主催の水泳大会が県営プールであったと思うのですが…。

夏休み中、町子連の水泳大会(仁比山小、神崎小、西郷小)競争があって、順番も決まった。

子供達、みんな頑張ってとても楽しそうでした。

学校全体で運動会のようなかんじで行われるといいかなとも思います。私個人的には競争するということは、ある程度必要なことだと思います。できない子(人)に対しては、周りの働きかけ等でその子(人)をのばしてあげられることも多いと思います。

水中綱引きや宝さがしと、15mを往復泳ぐというものがありましたが、「何m泳ぐか挑戦!」というのをしてほしいと思いました。

4年前、1年生の水泳大会は自由、平、背、バタフライまであってあまりにも競争主義で行き過ぎの感がありました。今回は「○○君1位 !!」みたいな感じではなかったが、目で見て何位かわかるし、顔つけ程度の子供を応援、はげましもあり、1年生では、これくらいがちょうど良いと思いました。

個人の能力をのばす上では、大切なことだと考えます。

同じレベルで、一人ずつ名前を言って、順位を争う大会があるといいと思います。全員が応援し、最後の子供まで皆で声をかけて応援する水泳大会であるといいなと思います。

水泳大会をはげみに頑張っていた時もあったので、やはり行って欲しいです。

私(父)が小学生の時は大変苦痛でした。(笑)

競争するくらいあってもいいのでは…?

4年生の中では1番速いので、目立ってくれてうれしかったです。習わせていてよかったなーと思いました。

私は親として大会があるのは賛成です。スポーツはまず楽しむ(好きになる)ことがモチロン第1ですが、勝負があるということは、あたりまえのことですし、負けて悔しい思いをするからこそ、上達するわけですから。「だれに負けた」ではなくて、自分と勝負することが一番むずかしいことだと思います。これからもビシバシきたえてください。練習中に笑顔はいりませんから。

楽しみにしていました。どこの学校も開催されているものと思っていました。

泳げる子も泳げない子も自分のレベルの上をねらってがんばれる大会なら開くべきだと思う。泳げない子等をけおとす大会はしない方がいい。

水泳大会に向かっての練習中、平泳ぎのフォームがピカ一とほめられ、クラス一泳げるとほめられ、大会では全校の中でもほめてもらえ、これといってとりえのない兄妹ですが、今年は少しうれしい大会となりました。先生方、スタッフの皆様のおかげと、子供と共に「ありがとうございます!」の気持ちいっぱいです。

何をどれだけ泳げるようになったのか?ということでクロールも平泳ぎも何でも一緒に泳いでいました。

本人は結構楽しみにしてるようすです。

水泳大会といっても授業参観のようなもので、夏の水泳の授業の集大成と思えばいいと思います。スイミングを習っている子はできて当り前だし、習っていない子はそれなりでいいと思います。どんな子供にも得意、不得意があると思うので、得意なものの発表の場があることは大切なことだと思うし必要だと思います。

社会に出てからも競争心というのは必要だと思うので、もっと盛り上がるような大会がいいと思う。何か物足りなさを感じました。上の子(現在6年生)が3年生の時はありましたが、それからはありません。あった方がいいと思います。

水泳大会に限らず、上記のような理由があれば、体育大会も同じ様な事が言われてくると思います。(走るのがおそいとか…)私、個人的には、泳ぐことによって自分や他人の命が助かればと思っています。タイムは努力の後からついてくるものだと思っています。まとまらない文ですいません。

まだ低学年なので遊び中心なのかもしれませんが、観ている親も応援する種目もなく、観戦する父兄も少なかったです。

9月に入ったかと思うと水泳の時間が何時間かで今シーズンの水泳は終わってしまう。時間が足りなくてケズられてるのでしょうか?まだうちの子はあまりうまくありませんが、「早くうまくなってようどう館の大会にでたい」と子供はがんばっています。”競争”は、とても大事なことと思います。

大会があることで子供も目標ができるようです。うちの子供達は陸上の競技はとても不得意ですが、水泳だけはという自信をもつことができて、とてもいいことだと思っています。こういう子供が他にもいると思いますので、水泳大会は、運動会と同じようにやるべきだと思います。

3年前までは泳ぐこともできなかった子が50mを一番で泳いでくれました。親として、とても嬉しく、胸を張っていられました。感謝しております。ありがとうございました。

クラス対抗で競技が行われ、自分たちのクラスを一生懸命応援し、クラスが一つにまとまったいい水泳大会でした。

6年生の上の子は100mのクロールと平泳ぎの記録会(タイム)のようなのがあったそうです。

運動会では順位があり、字の上手な子にも学校で表彰があり、絵の上手な子、勉強の出来る子は皆の前で披露できるのに、水泳大会があっても実力を披露できずにいる子供が少しかわいそうな気がします。

「泳げない子がかわいそう」との理由からでしょうが、 子供にも目標を持ち努力することも大切であると思う。 上の子供の時は、1年生の時に泳げなかったことが、 バネ(精神的な)となり、進歩につながったと思う。 今の教育方針には多々首をかしげるようなことがたくさんあると思います。今後ともよろしくおねがいします。

私自身、水泳が苦手で水泳大会がすごく嫌でした。 個人差もあるし、男の子で泳げないと、バカにされたりいじめられそうで…。実際に同級生(私の)にカナヅチの子がいて、すごくかわいそうでした。昔みたいな 記録会のような水泳大会は、なくてもいいと思います。

それぞれがそれぞれの場でそれぞれの目標を持ってやっているのだから、強制でなければ、発表の場があっても良いと思う。やれないから、というより、力を出す、挑戦するなどの後の感動を味わってほしい!

授業参観を兼ねてあったので、学校でのプールの様子を見られた。

水泳大会は平易の授業の中であるので、なかなか見学に行かれません。

オリンピックのような競争はありませんが、2人共1位をとって賞状をもらい、喜んでいました。

勉強はテストで点数がつくのに、事体育となると順位付けしない。勉強は苦手でも、体育が得意な子もいるのに、 それを認めてほしい。

大会開催には賛成です。学校でない事がふしぎです。

体育大会も同様の流れがあるようです。速い子同志、 そうでない子同志での組み合わせは年々顕著になっています。とても問題です…。

私の子供の頃と、近年は、運動会の内容もずい分変わった様な気がします。徒競走も高学年で、男女一緒に競争させたり、と、脱競争!まさにその通りだと思います。 勉強のできる子、水泳のできる子、走りの速い子、競争があり、お互い違うところを認め合う、そういう場があってもよいのではないでしょうか。

低学年ということかもしれませんが、ゲーム中心で見学も数少ないものでした。10~15名。

自分で目標を決めて泳ぐことができるので自信につながると思います。

練習の成果があらわれ、安心して見ていられます。 本人達は喜んで参加してます。

水泳大会に限らず、いろいろな場面(運動会、各種コンク ール、授業中、給食、etc.)で輝ける子ども達がいます。 今までかかわってきたクラスの子どもたちには、その時々で一緒に喜んであげよう、できないことがあってあたりまえ、自分なりに輝く場所を見つけて、そこで力を発揮すればいいこと、と。そして、苦手な子でも勝利を味わえる可能性のある全員リレーなどをできるだけとり入れるように心がけてます。(走りも、泳ぎも)得意な子は苦手な子の分までカバーする気持ちで精いっぱい走り、(泳ぎ)苦手な子は自分の出せる力を精いっぱい出してみなで力を合わせる気持ちで参加させています。もちろん 練習もします。負けたらどうしても苦手な子のせいになりそうですが、そのことばがでたらそこはあえて、得意な子のがんばりが足りなかったのかもよといいます。だって 得意なのに…と。おかげさまで今までそのようなことばがでないでいるのですが…。華やかな表彰の場は確かに減ってますが、子どもたちは、その子に憧れ、しっかり認めていると思いますよ。(言葉足らずですみません)

クラス内での記録会はあったそうです。学校の実体に応じて、学年一斉、クラス内どちらでも良いと思います。 子ども一人ひとりの伸びがわかる、しあげの時間を設けてもらうことは、是非やってほしいです。(水泳1時間目との比較)

現在高2、高1の子供が小学校の頃は、水泳大会をみるのが楽しみでしたし、クラスの親同士、ワーワー言って声援をおくったものでした。が、いつの間にか週休2日制がとり入れられ、水泳大会をしたら、授業時間が少なくなる…などの理由でとりやめになってしまっている現状です。日新はすもう大会もありますし…

水泳大会に限らず、運動会(今年は違いましたが)競争は減り、同タイム位の子供たちを一緒に走らせるようにして競争に差が出ないようにしています。水泳大会、運動会だけ輝く子もいるし、速い子、遅い子があっていいと思います。何でもみんな一緒という考えに疑問を持っています。

自分なりの目標を決め、それに向かって努力した結果を確認し発表する場として水泳大会はあって欲しいです。

毎年少しずつでも上達がみれて楽しみにしています。 ことに、今年は、ようどう館殿での練習のおかげで、ズバ抜けて速く、長距離を泳ぎきり、まさに「継続は力なり」を実感しました。(他の子供さんは、ほとんど辞めておられ、持きゅう力が落ちてしまった!と話しておられました)

1番を競うというより、今まで泳げなかったのが努力することで進歩が見られる点など個々に見てもらいたい旨の主旨をきいた。練習を頑張っている子に対しての評価は皆無である。

競争心のある子供は、順位があったら楽しかったと思うし、そうでない子供達にもはげみになるようにすればもっと楽しいと思う。

水泳の練習にがんばっている子供達にとっては、水泳大会はとても楽しみな行事だし、はげみになるものだと思っています。ぜひ続けてほしいです。最近の子供は、心も身体ももっと鍛えなければいけない子供が多くなっています。 それに親自身ももっと子供と共に成長していくべきだと感じる今日この頃です。

昔のように学校行事であれば楽しいと思います。

勉強は今一つでもスポーツ好きな子が胸を張って皆の前で優越感にひたれても良いと思います。脱競争の傾向について一言、このままでは競争心のない子供たちが増えてきそうでちょっと考えてしまいます。

水泳大会は、やるべきだと考えています。競争がだめなら字が上手な子が表彰される書き方会などもやめるべきだと思います。ある程度の競争意識があると、今度は頑張るぞという、子供なりに成長すると思います。水泳・運動・字が上手な子・絵が上手な子・得意なものはそれぞれあると思います。それをやる前からかわいそう(できないのは)と、なくしてしまうのは、どうでしょうか。

今の子供達は水泳教室に通っているのが普通みたいで、 うちの子は泳げないので、やはり泳げるようになっていないとゲーム的な種目にしか出場できず、少し消極的になってしまいます。水泳大会は、子供達のはげみになる様なものであってほしいものです。