― 泳力だけではない、心と体の成長 ―
「心と体を育てます」
ようどう館は水泳教室です。
ですから、まず子供達を泳げるようにすることが仕事です。
顔を水につけられなかった子が顔をつける。
浮けなかった子が浮く。
息継ぎができるようになる。
25mを泳ぐ。
平泳ぎを覚える。
100mを泳ぐ。
さらにその先へ進む。
こうした泳力の向上が、ようどう館の指導の中心にあります。
しかし、創立当初から、それだけを目的とはしてきませんでした。
初代館長は、
「水泳を通しての子供達の教育」
という言葉を繰り返し使っていました。
水泳を教えながら、その過程で子供達に何を身につけてもらえるのか。
泳げるようになるまでの経験そのものを、子供達の成長につなげることはできないか。
その考えは、現在のスローガン、
「心と体を育てます」
へと受け継がれています。
1.創立以来の三つの目標
ようどう館では、練習を始める前に「勉強の目的」を唱和します。
1、正しい泳ぎをおぼえます
2、礼儀正しい子供になります
3、強い身体の子供になります
この三つは、創立当初からの目標です。
興味深いのは、泳ぎに関するものが一つだけだということです。
もちろん、「正しい泳ぎをおぼえる」ことが水泳教室としての大前提です。
しかし、それと並んで、
礼儀正しい子供になること。
強い身体をつくること。
が掲げられています。
つまり、ようどう館では創立時から、
泳力と子供の成長を切り離して考えていなかった
ということです。
2.礼儀は「形」だけではない
ようどう館では、挨拶や返事を大切にしています。
練習の始まりには、
「気をつけ」
「礼」
「お願いします」
練習が終われば、挨拶をする。
先生に呼ばれれば返事をする。
しかし、礼儀とは単に決められた言葉を言えばよいものではありません。
第381号「言葉に気持ちを込める」には、それを考えさせられる話があります。
子供に挨拶を求めている現館長自身が、仕事中にパソコンを見ながら子供から挨拶され、
画面を見たまま返事をしてしまうことがある。
そのことを自ら振り返っています。
子供に、
「ちゃんと挨拶しなさい」
と言いながら、大人が相手の顔も見ずに返事をしていたのでは説得力がありません。
挨拶は言葉だけではなく、
「あなたの存在に気づいています」
「あなたに向かって話しています」
という、人と人との関わりでもあります。
子供に礼儀を求めるのであれば、大人自身も相手に気持ちを向ける。
礼儀を教えることは、形を覚えさせるだけではないのです。
3.「お互い様」と「お陰様」
第341号では、
「お互い様、お陰様」
という言葉について書いています。
人は一人だけで生きているわけではありません。
誰かに助けてもらうことがあります。
逆に、自分が誰かを助けることもあります。
何かがうまくいった時、それをすべて自分一人の力だと考えるのではなく、周囲の人達の存在にも目を向ける。
水泳も同じです。
泳ぐのは本人です。
先生が代わりに泳いであげることはできません。
しかし、そこに至るまでには、いろいろな人が関わっています。
プールへ送り迎えしてくれる家族。
一緒に練習する仲間。
泳ぎを教える先生。
自分が泳いでいる時に順番を待ってくれる子。
子供達は、そうした人との関わりの中で練習しています。
「礼儀正しい子供になります」という目標の中には、挨拶の仕方だけではなく、
人と一緒に生きる感覚を身につけてほしい
という願いも含まれています。
4.プールは、一人で練習する場所ではない
水泳は、一見すると個人競技です。
自分一人で泳ぎ、自分の記録を出します。
しかし、日々の練習は決して一人ではありません。
同じコースに何人もの子供がいます。
順番を待つ。
前の子との間隔を取る。
他の子が泳いでいる時には邪魔をしない。
先生の説明をみんなで聞く。
時には、先に泳いだ子がお手本になります。
第577号「見て育つ」で書かれているように、子供達は自分が直接教えられている時だけ学んでいるわけではありません。
他の子が褒められているのを見る。
注意されているのを見る。
上手に泳いでいる子を見る。
失敗して、もう一度挑戦する子を見る。
そうした周囲の姿からも学びます。
だからプールは、
泳ぎを覚える場所であると同時に、人と一緒に行動することを経験する場所
でもあります。
5.自分のことを、自分の言葉で伝える
第524号「コミュニケーション能力」では、人と関わる力について考えています。
社会へ出れば、知識や技術だけでなく、人と話すこと、相手の話を聞くこと、自分の考えを伝えることも必要になります。
ようどう館でも、子供が自分で挨拶をすることや、自分のことを話す経験を大切にしています。
例えば、自分の名前を言う。
先生に尋ねられたことに答える。
分からないことを聞く。
体調が悪ければ伝える。
「きつい」と言う。
助けてほしければ助けを求める。
これらもすべて、人との関わりです。
特にプールでは、
自分の状態を相手に伝えることが安全にもつながります。
ですから、「自分で言う」ことは、単に礼儀や社交性の問題ではありません。
自分を守るためにも必要な力です。
6.できた喜びが、次の意欲を生む
水泳指導をしていると、子供が大きく変わる瞬間があります。
それまで怖がっていたことが、ふとできるようになった時です。
第514号「ビート板無しで浮かべた!」には、ビート板をなかなか離せなかった子供達の様子が書かれています。
水に浮くことはできる。
しかし、ビート板から手を離すのが怖い。
先生から見れば大丈夫そうでも、本人にとっては大きな一歩です。
無理に離させるのではなく、少しずつ挑戦する。
そして、ついに手を離して浮ける。
すると、それまで怖がっていた子が、
何度も何度も繰り返すようになることがあります。
遊び時間になってもやっている。
練習が終わろうとしているのに、もう一度やろうとする。
さっきまで怖かったことが、
「できた!」
という瞬間から、
「もう一回やりたい!」
に変わるのです。
この変化は、水泳指導の面白いところの一つです。
7.「やらされる」から「やりたい」へ
第561号「運動は罰ゲームではない」でも、同じ方向の考え方が見られます。
強化コースでジャンケンをして、
勝った子はバタフライで泳いで戻る。
負けた子は歩いて戻る。
という練習をしたことがあります。
普通なら逆に考えそうです。
「負けた人が泳ぐ」
とすれば、泳ぐことは罰になります。
しかし、それでは、
運動=嫌なこと
になってしまいます。
そこで、泳ぐ方を「勝った人の権利」にする。
すると、
「泳がされる」
から、
「泳ぎたい」
へ変わります。
先代館長は、
「指導は心理学だ」
とよく言っていました。
子供を無理に動かすのではなく、
どうすれば本人がやってみたくなるのか。
そこを考えることも指導です。
8.一般開放で見えた「できるようになる喜び」
2026年8月22日、ようどう館では佐賀校・大和校のプールを一般開放しました。
約90名の子供達が遊びに来てくれました。
普段の練習では遊ぶ時間は限られています。
しかし、この日は13時から16時までの3時間。
水鉄砲を持ってくる子。
大きな浮き具で遊ぶ子。
友達や親子で遊ぶ子。
みんな自由にプールを楽しんでいました。
その中に、現館長の目に留まった子がいました。
その子は、ひたすら
「モーターボート(バタバタ)」
を繰り返していました。
自由に遊んでいいのです。
誰からも、
「バタ足を練習しなさい」
と言われていません。
それなのに、自分から何度もやっている。
なぜでしょう。
おそらく、その子にとっては、できるようになったこと自体が遊びになっていたのでしょう。
できなかったことができる。
身体が思ったように動く。
水の中を自分の力で進める。
その感覚が面白い。
水泳を教えていると、
上達そのものが子供の楽しみになる瞬間
があります。
これは、指導者にとって非常に嬉しい光景です。
9.「できること」が、その子の自信になることもある
第517号「水泳の授業再開」では、学校という集団の中で、水泳ができることについて考えています。
子供には、それぞれ得意なことと不得意なことがあります。
勉強が得意な子。
走るのが速い子。
絵が上手な子。
人前で話すのが得意な子。
そして、泳ぐのが得意な子。
普段の学校生活では目立たない子でも、水泳の授業になると上手に泳げる。
みんなの前でお手本として泳ぐ。
友達から、
「すごい!」
と言われる。
そんな経験が、その子の自信につながることがあります。
すべての子供が水泳を一番の得意分野にする必要はありません。
しかし、
「自分にもできることがある」
という経験を持つことには意味があります。
ようどう館で身につけた泳力が、プールの外でその子を少し支えることもあるのです。
10.小さな成功を見逃さない
水泳の上達は、25m完泳やテスト会合格のような、大きな出来事だけではありません。
顔を水につけられた。
昨日より長く浮けた。
ビート板から手を離せた。
バタ足で進んだ。
初めて息継ぎができた。
25mの途中まで行けた。
平泳ぎのキックが一回うまくできた。
そうした小さな変化が積み重なって、泳げるようになります。
だから、指導者がその変化に気づくことが大切です。
第540号「ほめ殺せ」にあるように、子供が泳いだ後に振り返ったら、
「バッチリ!」
「カッコいい〜!」
と声を掛ける。
第509号「やる気スイッチ」でも、子供の「やる気」のきっかけについて考えています。
何がきっかけになるかは、子供によって違います。
先生に褒められたこと。
テスト会に合格したこと。
友達が先にできるようになったこと。
トロフィーが欲しいと思ったこと。
自分自身が「できた」と感じたこと。
大人から見れば小さなことでも、子供にとっては次の一歩を踏み出すきっかけになることがあります。
だからこそ、小さな成功を見逃さないことが大切です。
11.頑張った経験そのものを残したい
すべての子供が同じところまで上達するわけではありません。
上達の速さも違います。
得意不得意もあります。
途中で別のスポーツを始める子もいます。
中学校進学や受験を機に退会する子もいます。
だから、ようどう館での価値を、
「何級まで行ったか」
だけで考える必要はありません。
最初は怖かったけれど挑戦した。
なかなかできなかったけれど練習した。
一度失敗したけれど、もう一度やってみた。
先生に褒められて嬉しかった。
テストに落ちて悔しかった。
友達と一緒に頑張った。
こうした経験も残ります。
第473号「〇〇道」では、
「極めなくとも、その過程で得るものがたくさんあるはずです。」
と書いています。
水泳を極めなければ意味がないわけではありません。
その過程で何を経験したのか。
そこにも大きな価値があります。
12.「強い身体」とは何だろう
創立以来の目標の三つ目は、
「強い身体の子供になります」
です。
これは、単に筋肉が強い、速く泳げるという意味だけではないでしょう。
水の中で身体を動かす。
何度も泳ぐ。
少しずつできることを増やす。
運動することを日常の中に持つ。
ようどう館では、子供達に身体を動かすことそのものを好きになってほしいと考えています。
第561号「運動は罰ゲームではない」も、その考えにつながります。
「運動しなさい」
と命令されなければ身体を動かさないのではなく、
身体を動かすこと自体が楽しい。
そう感じる経験を増やしたい。
水泳は、そのための一つの入口にもなります。
13.水泳だけで子供は育たない
一方で、大切なことがあります。
水泳だけをしていれば、子供に必要なものがすべて身につくわけではありません。
第276号「外遊びの大切さ」などで、現館長は、子供がさまざまな身体の使い方を経験することについて考えてきました。
走る。
跳ぶ。
投げる。
登る。
ぶら下がる。
転ぶ。
立ち上がる。
水泳では経験しにくい動きがたくさんあります。
水泳には水泳の良さがあります。
しかし、水泳だけですべてを補えるわけではありません。
外遊びや他のスポーツ、日常生活の中で身体を動かすことにも意味があります。
ようどう館が「心と体を育てます」と言う時、それは、
「水泳だけやっていれば完璧な子供になる」
という意味ではありません。
水泳という一つの場を通して、子供の成長に関わりたい。
そのくらいの立ち位置が、ようどう館にはふさわしいでしょう。
14.大人の姿も見られている
子供に、
「挨拶しなさい」
「人の話を聞きなさい」
「約束を守りなさい」
と言うのであれば、大人はどうでしょう。
第352号「やせ我慢」など、過去のおたよりでは、現館長自身が大人の姿について何度も振り返っています。
子供は、大人が言っていることだけを聞いているわけではありません。
大人がやっていることも見ています。
第381号「言葉に気持ちを込める」で、現館長がパソコンを見ながら挨拶を返してしまう自分を反省したのも、そのためです。
子供に礼儀を教える側だから、自分は完成された人間である。
そんなことはありません。
大人も失敗します。
間違えます。
反省します。
そして直そうとします。
子供に成長を求めるのであれば、大人自身も成長し続ける必要がある。
これも、長年子供達と接してきた中で繰り返し現れてきたテーマです。
15.「心を育てる」と簡単には言えない
「心と体を育てます」
というスローガンを掲げています。
しかし、「心を育てる」という言葉は、とても大きな言葉です。
週に何回かプールへ通ったから、その子の人格が形成される。
先生が挨拶を教えたから、礼儀正しい大人になる。
注意されたから、我慢強くなる。
そんな単純なものではありません。
子供は家庭でも育ちます。
学校でも育ちます。
友達との関係でも育ちます。
遊びの中でも育ちます。
たくさんの人や出来事の影響を受けながら成長していきます。
ようどう館ができるのは、その中の一部分です。
だからこそ、
ようどう館だけで子供を育てる
のではなく、
水泳を通して、子供の成長の一端を担う。
この表現が、創立45周年の第552号「創立45周年を迎えます」にある、
「創立以来『子育て』の一端を担いたいと努力を続けています。」
という言葉にもつながります。
16.泳げるようになる「まで」に価値がある
子供が25mを泳げるようになった。
100mを泳げるようになった。
平泳ぎを覚えた。
1級になった。
それらは目に見える成果です。
しかし、その結果に至るまでには、目に見えにくい時間があります。
怖かった。
できなかった。
何度やってもうまくいかなかった。
先生に教えてもらった。
友達の泳ぎを見た。
もう一度やってみた。
少しできた。
褒められた。
嬉しくなった。
またやった。
そして、いつの間にかできるようになった。
この過程の中に、
挑戦すること。
失敗すること。
人の話を聞くこと。
人に助けてもらうこと。
できたことを喜ぶこと。
もう一度やってみること。
があります。
泳ぎを覚える過程には、子供がさまざまな経験をする機会があります。
ようどう館が大切にしたいのは、そこです。
17.泳力と、その過程で得たもの
水泳教室として、泳力はきちんと残したい。
これは絶対に外せません。
「心が育てば、泳げなくてもいい」
という話ではないのです。
泳げるようにすることが、ようどう館の仕事です。
そのうえで、
泳げるようになるまでの過程も、子供の財産にしたい。
泳げなかった子が泳げるようになる。
その経験の中で、
「自分にもできた」
と思う。
先生や仲間と関わる。
注意される。
褒められる。
悔しい思いをする。
嬉しい思いをする。
そして、自分の身体を使って何かを身につける。
泳力という目に見える成果と、その過程で得た目に見えにくい経験。
その両方を持って帰ってほしい。
それが、ようどう館の願いです。
この章のまとめ
ようどう館では、創立以来、
正しい泳ぎをおぼえます
礼儀正しい子供になります
強い身体の子供になります
という三つの目標を掲げてきました。
初代館長は、
「水泳を通しての子供達の教育」
という言葉を繰り返し使っていました。
その考えは、挨拶や返事、人との関わり、努力する経験、小さな成功を喜ぶことなど、日々の指導の中に受け継がれています。
第341号の「お互い様、お陰様」。
第381号の「言葉に気持ちを込める」。
第540号の「ほめ殺せ」。
第561号の「指導は心理学だ」。
第577号の「見て育つ」。
そして一般開放で、自分から何度も「モーターボート」を繰り返していた子供。
それぞれ違う話ですが、根底には共通するものがあります。
子供は、人との関わりや自分自身の経験を通して育っていく。
ということです。
そして、できなかったことができるようになった時、
「できた!」が「もう一回やりたい!」に変わる。
水泳指導には、そんな瞬間があります。
ようどう館だけで子供を育てられるわけではありません。
しかし、水泳という場を通して、その成長の一端を担うことはできます。
だから、ようどう館が子供達に残したいものは、泳力だけではありません。
泳げるようになったことに加えて、泳げるようになるまでの経験も、子供達の財産にしてほしい。
創立以来続いてきた三つの目標。
「プラス+α」。
「水泳を通しての子供達の教育」。
それらを、現在の言葉で短く表したものが、
心と体を育てます
という、ようどう館のスローガンなのです。
