「水泳大会」への意見・感想 (要約)


小学校における「水泳大会」を含めた多くの行事や教育について、保護者の方々からたくさんの意見・感想が寄せられました。その数は146件!にのぼります。このページでは忙しい方のため、要約を載せています。全ての意見・感想を読みたいという方は下のリンクからジャンプしてください。

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子供達はがんばっていた」「楽しそうだった」親としても「楽しみにしていた」とともに「どこの学校も開催されているものと思っていた」「水泳大会のないところがあると知ってがっかりした」という意見が寄せられました。

運動会にしても「男女一緒に走ったり」「速い人達、遅い人達で組分けする」脱競争がみられ、さらに「春の運動会がなくなった」と中止になる学校もでているようです。

その他、学校で競争が排除される傾向について、「今の子供は(学校は)全員同じという感じがする。運動会もそう思う」「今の横並びの教育はどうか…と思う」「今の教育は、できない子が可哀そうだから、順例をつくらないようにしてある。運動会でも、勉強でも全てのことに。それもちょっとおかしいと思う」「ほとんどの学校で成績の順位を公表しない傾向になりつつあり、これがひいては、下位の子や上位の子の落ちこぼしをつくり、今のゆがんだ社会につながってきているのでは?」「水泳大会、運動会等すべての面で競争するということが少なくなってきている様だ。子供たちの”がんばる”という気持ちもなくなってきている様に思われる」「それぞれに得手、不得手のあるように、水泳の中でも、上手、下手はあって、それぞれにほめたりはげましたりして良いと思う…が、今の学校の在り方を見ると、それは、さけている様に思うところがある。(運動会にしても、授業参観にしても全てにおいて)」と保護者の方々は感じられているようです。

悪平等よりも、「得手、不得手を理解し受け入れられるという事も大切だ。みんな一緒にお手々つないでいつまでもいられる訳でもないし、オリンピックでおぼれそうになりながらも50mを泳ぎきった黒人とそれを受け入れた人達のように、子供達には前向きでいてほしい」と、子供達個々の違いをお互い認めることが大切という意見がありました。

得意、不得意の科目がある様に個人差は、あって当然」という意見は多数寄せられており、「何にしても得意、不得意があるのはあたりまえ。一生懸命がんばることが大切だと思う」「得意・不得意は個人差ですし、苦手でも、がんばっている姿には感激した」「子供には個性があって当然で得意、不得意もあって当たり前、各々が自分の力を存分に発揮できる喜びの場をなくしてしまうのは本当に残念」「どんな子供にも得意、不得意があると思うので、得意なものの発表の場があることは大切なことだと思うし必要」と、得意なことを披露できることの大切さも多くの保護者の方の感じるところのようです。

スポーツができる子、勉強ができる子といろいろな子供がいる。スポーツのできる子の活躍の場も必要である」「体育の授業である水泳の発表する場がなくなることは、努力をして速くなろうとがんばっている子にとって辛い所がある」「子供たちが頑張って練習しているのに、その成果を発表できる場がなくて、とても残念だ」「勉強はともかく、水泳は得意!!という子もいると思うので、活躍する場がないのはかわいそうだと思う

また、他の分野と比べて「運動会では順位があり、字の上手な子にも学校で表彰があり、絵の上手な子、勉強の出来る子は皆の前で披露できるのに、水泳大会があっても実力を披露できずにいる子供が少しかわいそうな気がする」「絵画、習字、作文等の優秀な作品は張りだされたり表彰されるのに、水泳大会等は『見せる』だけ。これしか活躍することのできない子は、ちょっと淋しい…かも」「運動会はリレー選手が全校の前で表彰されるのに、水泳はそういう場がないので、少しかたよっている気がする」「泳げない子供の気持ちも大切ですが、泳げる子供のことも評価してもらえれば、もっと自信がついてくるのではないか」「泳げる子にがんばれる場をあたえて、1位2位は順位をつけてやったほうがよいと思う」と泳げる子にもう少し配慮してほしいという意見がありました。

いろんな方面で、子ども達が得意分野を発表できる場がある方が良いと思う。勉強が好きな子はテストで、足の速い子は運動会で、水泳の得意な子は水泳大会で…。それが子ども達の自信につながると思う」「何でもいいから人より上手な子供は何らかのアピールの場をあたえてやり、自信をつけさせてよいと思う」と、自信をつけさせる効果を期待する意見があり、実際「6人の中では1番はやくゴ-ルインした。順位はつきませんが、本人の自信になったと思う」「水泳大会で2位になり、とても嬉しそうに帰宅した姿は、自信がみなぎっていた

競争を避けるばかりでなく、「競争することの大切さを知った方がいい」「”競争”は、とても大事なことと思う」という意見も多数あり、「もっと競争させて、頑張る事を教えても良いのでは…と思う」「競争することは、スポーツ、学習、どんな場合にも必要なこと」「お友達同志で、意識しあい、きそいあい、達成した時の喜び、感動を体験させてあげたい」「競争するということで学ぶことはたくさんあると私自身が体験してきた

だからこそ「競争心もなく、みんなが一緒というのには反対ですね。大会なのだから、1番がいて2番がいるのがあたりまえ」「”皆が手をつないで一緒にゴール”ではなく”皆が手を引っぱって強くなる”ことがBESTだと思う」「競争心がわくように順番があった方が楽しいと思う

親としても「観ている親も応援する種目もなく、観戦する父兄も少なかった」「水泳大会を見に行っても張り合いがなく子供達も盛り上がらずシラーとした雰囲気」では寂しいですね。

子供にとっては”できなくてくやしい”と思う気持ちを感じる事も大切」という意見もありました。「勝ち負けを含め、様々な体験を踏ませることは、子どもの成長において大切なこと」「努力の差で、優劣が生じるのは当然の事と思う」「勝負があるということは、あたりまえのことですし、負けて悔しい思いをするからこそ、上達する

実際に「昨年は学年の中で一番泳ぐことができなかった。でも『来年は一人で泳ぎたい』と言う気持ちで頑張ってくれた」「去年の水泳大会で、女の子より泳げなかったのが、すごくショックだったみたいで、自分から習いたいと言いました。水泳大会がなかったら、今も泳げないかもしれない

だから「競争するということは、ある程度必要なことだと思う。できない子(人)に対しては、周りの働きかけ等でその子(人)をのばしてあげられることも多いと思う」 「水泳大会があるから、うまくなろうと努力する子もいると思う」という意見も。

大会があることで子供も目標ができるようだ」「水泳大会をはげみに頑張っていた時もあったので、やはり行って欲しい」 「『苦手でイヤだった』という思い出もあとになって振り返ると笑みのこぼれるような話…」「毎年の進歩が明確な大会」「自分は 0m(小3)だったのを、今年は何m泳げるかと、とてもワクワクした思い出がある」と「泳げる泳げないは関係なしに水泳大会は開催された方が良い」という意見もあります。

水泳大会が”泳げない子がかわいそう”という理由で廃止されるということがあるのなら、それは残念に思う。”かわいそう”の意味が違うのではないか」「『出来ない子が、かわいそう。』と言う理由なら、運動会もテストもなくなればいいと思う」「「かわいそう」では、成長しない」「大人が”かわいそうだから”と言う前に”たのしいよ”を教えるべき」「先生方は大事にしすぎてかえって子供達のやる気と『すごーい』と尊敬する気持ちを薄れさせている気がする

先生方のはからいで、素晴らしい水泳大会が行われている学校もありました。「3年生は100m以上泳げる人による模範泳ぎ、5年生は、タイムの上位による決勝と、上手な子供達が活躍できる場もはかられていた」「今年新たに25m泳げるようになった人を紹介して、みんなで拍手をしてあげる時間がある」その結果「これといってとりえのない兄妹ですが、(みんなの前でほめられて)今年は少しうれしい大会となりました